2013/7/20  18:43

永代橋  昭和史
テリトリー東京02
昭和46年から54年まで暮らしたのが「深川佐賀町市街地住宅」でいわゆる公団住宅。昭和46年、友人が申込書を出して29倍の難関を潜り抜けて入居した。頼んでくれた友人は落選。一応喜んだものの居住スペースは「1K」で5畳の居間と玄関の脇に小さめの流し付きでシャワーも風呂も無い。刑務所の独房はトイレがあるからそれ以下。家賃は当初は5000円だった。友人はその後、都心から離れるが千葉県八千代市の2DKへ無抽選で入居した。当時はべら棒な2万円台の家賃だった。筆者の人生の“運”はここで尽きた。

「深川佐賀町市街地住宅」は、昭和37年にできた「乳熊(ちくま)ビル」の3〜7階。元禄初年創業の「ちくま味噌」が本業。乳熊ビルの前にあるのが「赤穂浪士四十七士休息の地」の碑文で日本史ファンに知られている。ここからそう遠くない本所松阪町の吉良邸で本懐を遂げた赤穂義士は高輪泉岳寺に行く前に永代橋際で休息した。ここで甘酒のふるまいを受けた。時は元禄15年12月14日。日本史が好きなのに7年間暮らしていながらあまり興味は無かった。

深川佐賀町は明治・大正時代の食糧倉庫が多かった。むろん隅田川に繋がる運河が縦横にあったからである。公団住宅のビルは、隅田川に架かる「永代橋」の脇にあり、勤務先までは徒歩を加味しても40分だった。昭和47年まで永代橋の上を都電が走った。錦糸町─東京駅間だった。佐賀町から茅場町まで都電で行き、そこから日比谷線で秋葉原へ着く。

 バスは無く秋葉原までの通勤に永代橋を都電に渡りき

錦糸町─東京駅間の都電は、昭和47年廃止。昭和55年から実母と同居することになり、1DKの亀戸に転居した。佐賀町は足を伸ばせば、門前仲町でここは繁華街、深川不動・富岡八幡宮があり「鬼平犯科帳」「剣客商売」の舞台。

追記 佐賀町の「乳熊ビル」は平成27年05月、取り壊しの張り紙があった。

画像はネット画像をお借りした。中央区側から撮影した永代橋と都電。左の建物が乳熊ビル。

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