2013/7/27  18:36

神田神保町  昭和史
テリトリー東京04 神田神保町(かんだじんぼうちょう)
JR「御茶ノ水」西口を降りて南下すると、そこは「神田駿河台下」交差点。辞書で高名な三省堂書店がある。西隣のJR「水道橋」東口を降りて南に行くと「白山通り」と「靖国通り」が交差する「神田神保町」交差点に至る。その駿河台下交差点と神保町交差点までの“へ”の字に曲がる通りが所謂「神田神保町古書街」を成す。古書店舗は、直射日光を避けるため殆ど靖国通りの南側に位置し、北側が書店入口になっている。中学卒業以降は、当然貧乏で一冊10円程度の文庫本の古書が買えたので入り浸った。所謂「社会派推理小説」と言われた松本清張・水上勉・黒岩重吾の初期の本は大抵読んだ気がする。

御茶ノ水駅・東口から「本郷通り」を南下すればそこは「神田小川町」交差点。中途に“ニコライ堂”がある。この交差点近辺には「楽器店」「スポーツ用品店」が多い。この「明大通り」「本郷通り」沿いには明治大学・日本大学など大学・予備校が参集していた。別名“学生街”でもあった。

神保町は古くからの建物が密集しているため、防災性と「土地の高度利用」が課題として挙げられているらしい。ペーパーレスの時代に突入したが、古書は日本人の財産、古書街が消えることはないように思うのが本心。毎年「文化の日」前後に“古本祭”があり、秋の風物詩になっている。

勤務先の近くの神田明神下の「外堀通り」を南に行けば神田淡路町交差点で、ここからも神保町は近い。むろん「学生街の喫茶店」などの歌もあるように学生の憩う茶店・レストラン、さらには入り組んだ路地も多い。「救世軍日本本営」も昔からあって、文化財として貴重で戦争中、米軍が焼夷弾を落とさなかったとの逸話もある。ウソかホントかは知らない。蛇足だが外国人が多く暮らした箱根 and 軽井沢に空襲が無かったのは事実。

「サライ」平成16年21号には「司馬遼太郎」特集があり、井上ひさしの指摘に司馬の古書店街での“資料集め”の逸話がある。≪司馬遼太郎の資料蒐集の徹底さについては、多くの人が感嘆の声を上げている。神田の古書街からある日、ひとつのテーマの本がいっせいに消えるんです。どうしたのかと思うと、司馬先生が今度こういうテーマで書くからと各店に撒を飛ばして、資料がトラックで東大阪の司馬先生の家へ運ばれたあとなんです≫

司馬遼太郎を少し真似して筆者のライフワーク「戦争の昭和史」の一次史料の探索に近々、また神保町通いを再開する。高価なほど史料価値は高いと思う。どこまで本格化して、どこまで読み熟し、どこまで自分の文章に反映できるか、道は遠いし時間も少ない。

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