2013/8/10  13:53

日本橋  昭和史
テリトリー東京07 日本橋
印刷機二台在りたる日本橋のモルタル家屋は更地となりぬ
活版の文選・植字を習ひゐし親方老いていづこにあらむ
バッグ一つ本数冊持ち住込みし吾を迎へたり南京虫が

昭和38年12月から4年間勤務した印刷会社も住込みだった。丁度20歳前後、ビートルズが日本公演(1966)をした翌年、業平橋のアパートを借りた。この会社を後年、訪問したら既に更地になっていた。親方すなわち社長は、父親の「梅毒」が遺伝していて歩行困難者だった。だが運転はできた。俳句の名人で「読売俳壇」で最優秀賞など受賞していた。

小さなモルタル家屋は、鰹節「にんべん」の借地だった。道路三本北側が「東京駅八重洲口」で、当時「日本橋三丁目」は「日本橋通り(とおり)三丁目」との町名だった。今では「通り」がとれて単なる日本橋。都バスの停留所には「日本橋通り三丁目」が残っている。

以下は未知の方からのメール<2009/10/19>の再録・要約。
≪茨城県に住むTH(昭和37年生まれの47歳・男性)と申します。何故、唐突にメールさせていただいたかと言いますと、実は私の父が日本橋室町にあった林商会に勤めていたからです。この会社のことについて、お店の印象やどんな場所にあったのかなど何か知っていることがあれば教えて欲しいと思っております。どんな些細なことでも構いません。よろしくお願い申し上げます。ちなみに父は昭和38年の「鶴見列車事故」で亡くなりましたので、あなたがカメラを買われたときには会社にはいませんが、林商会がどんなところだったのか、知りたいのです。悪い話でも何でもいいです。父の軌跡を知っておきたいのです。≫

「父親を知らない人生」は筆者がいちばんよく判る。それが「戦争の昭和史」など駄文を重ねている動機でもある。筆者は「林商会」のあった場所だけは知悉していたので丁寧に返信した。林商会は今でいえば「ヨドバシカメラ」「ビックカメラ」の類のカメラの量販店だった。日本橋室町の交差点の東北側角にあった。今は「林商会」もなく「ミノルタカメラ」も無い。「ミノルタSR1」は、昭和42年、筆者が初めて購入したカメラ。もう使えないが捨てられずにいる。当時はカラーフィルムさえ贅沢だった。給料が毎月3万円のころ、このカメラも3万円くらいした。むろん1カ月3000円の月賦払いだった。

画像は、日本銀行本店(日本橋本石町)・日本橋交差点。

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