2013/9/10  14:02

浅草02  昭和史
テリトリー東京08 浅草02
 あてどなく浅草に出でて十代の吾は「用心棒」も「ストリップ」も観き

渥美清・萩本欽一・ビートたけしなどそうそうたる喜劇俳優がストリップの間に行われる軽演劇出身。「浅草六区」は歓楽街だった。これは、明治時代に出来た浅草公園の一区画の名称。今、中央競馬の場外馬券売場があり、昔からの遊園地「花やしき」もある。隅田川対岸の「スカイツリー」、西側にはつくばエクスプレスの「浅草駅」も出来て賑わいが甦った。だが渥美・萩本・東八郎・たけしが修業した「浅草フランス座」は無く「ロック座」は今もある。筆者の昭和40年前後、休日は日曜日だけで錦糸町か浅草で過ごすのが定番。映画・ストリップ・食堂、貧乏な!少年には一日を過ごすのには丁度良かった気がする。

墨田区石原町の錦糸中学クラスメイトの遠藤○は漫才師になった。NHK漫才コンクールで1970年優勝。昭和40年代、映画館「浅草スカラ座」のこけら落し「こまどり姉妹ショー」の前座に出演、観に行った記憶がある。ただ漫才の世界の競争は厳しい。あまり面白くないとすぐ淘汰される。旧友“大空ひろし”いつの間に消えた。その後の消息は知らない。

浅草を歌った演歌も多い。戦前の「浅草の歌」は、藤山一郎、戦後は関敬六、小沢昭一が歌った。昭和40年前後、数年で姿を消したキングレコードの北見和夫「浅草の屋根の下」は、今でも諳んじている。この歌手はネットで検索してやっと本名が解り67歳の画像があった。

浅草には名店が多い。駒形橋近くにあるのが「駒形どぜう」。江戸甘味噌仕立ての鍋で鰹出汁のきいたタレでさらに煮込んで刻みネギを載せて食べる。柳川鍋・くじら鍋もある。本店は江戸の商家風の総檜造りで、大名行列を見下ろすことのないよう2階は黒漆喰で目隠しされている。「柳の下に二匹目のドジョウがいる」の縁起から、店の横には柳の木が植えられている。「どじょう」は旧仮名では正しくは「どぢやう」、初代がわざと命名した。「男はつらいよ42、僕の伯父さん」は平成元年封切、駒形どぜうは伯父さんと僕が呑んだところ。

雷門脇の雷おこし、むぎとろ、てんぷら三定、すきやき今半など名物が多い。甘党なので「舟和」の芋羊羹がおすすめ。

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