2013/9/30  13:13

日米開戦への道06-1  昭和史
日米開戦への道06−1 東條英機
2年前の06月に「清廉潔白の総理大臣」として“です・ます”調で記述したのが第40代総理大臣に就任した東條英機。現役の陸軍中将だった。ここに一部改めて再録する。結論を言えば今も昔も「総理大臣は軽くてパアがいい」の象徴的人物だった。

70年数年前、能吏と誰もが評価する「大日本帝国陸軍軍人」がいた。この軍人が兄とも慕う永田鉄山陸軍少将は、日本陸軍が生んだ最高の逸材で秀才だった。誰もが認める日本陸軍のエリートで将来を託された。だが日本の近代史は、暗殺・テロの繰り返し。昭和04年には浜口雄幸(はまぐちおさち)首相、昭和07年には犬養毅(いぬかいつよし)首相が暗殺され、昭和11年には、あの二・二六事件が起こり、高橋是清・齋藤實(さいとうまこと)元総理が暗殺された。「永田鉄山」は期待されながら、昭和10年、白昼、執務室で惨殺された。51歳だった、世に云う「相沢三郎事件」。近代日本の不幸はここから始まった。この軍人が生きて居れば「日米戦争」など無かったとも云われる。その永田の子分の軍人が能吏ゆえに押し出されるように陸軍内の序列に頭を出す。これが東條英機。翌年の2・26事件で更に多くの優秀!な軍人が粛清される。

東條は、明治時代末期、陸軍大学の受験に3度も失敗、そこで作戦変更、妻も手伝って出そうな問題は一年間かかって全て丸暗記した。大正元年に合格。だが卒業時に5番以内の「恩賜の軍刀組」といわれる優秀さには、程遠い下位の成績だった。司馬遼太郎は、戦後「村役場の受付で仕事をテキパキとこなす職員、およそ町内のことは犬・猫さえも知悉する町内会の会長さんのような人」と評した。

昭和16年、お公家様の「近衛文麿総理」が辞任、明治維新立役者の桂小五郎(木戸孝允)の孫で当時の内大臣木戸幸一は昭和天皇がお気に入り(実はうそ)の陸軍中将を総理大臣に推薦、大命降下された。今で云えばサクセスストーリーで、謹厳実直・日日是努力で総理大臣の地位に上り詰めた。結果として日米開戦のための組閣だった。「日米開戦GO」を決定せざるを得なかった。昭和16年12月08日の前夜、天皇の意向を守れなかったその軍人総理は世田谷区用賀の自宅で、夜中に皇居の方向に頭を下げ、さめざめと泣いた。

前列軍服が東條、右横は戦後A級戦犯に指定された鈴木貞一。最左列は嶋田繁太郎海軍大臣。最後列右縁は岸信介国務大臣。

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