2013/10/18  21:12

墨田区立・錦糸中学  日本史
09月13日に「テリトリー東京 番外編・墨田区石原」と記述した。昭和32年、中学入学時、都内に居住したのは横川橋、墨田区石原の「錦糸中学」に登校。戦後12年だ、校舎は「東京大空襲」で焼け残ったのか、3階建の3階部分は荒れたままだった。卒業後、錦糸公園に隣接する「松徳硝子株式会社」から社会人生活は、スタート。定時制高校に通いながら業界新聞配達、東京瓦斯アルバイト。住み込みの印刷会社は数社を経験。

中学時代、授業の休憩時間、仲良く校内で下級生の女生徒を物色して?3階より眺めていた。その仲間の“○木保之”とは連絡を怠り音信不通になった。全ては自己責任。錦糸中学のすぐ近辺に居住していた別の友人の名をヤフーの検索にかけたら「石原町四丁目」の商店街のなかにあったのにはびっくりした。もう中学の級友には、この世で会えないと思っていた。

先日の宣言通り、筆者の短歌文庫『相生坂』が完成して、これをいきなり送ってみた。50数年ぶりの連絡になる。何と「けんもほろろ」どころか文庫送付後、二日目に電話があった。50年の時を隔て、昨日のように“○木保之”の電話と、不定期の「同窓会」開催をも教えてくれた。これも何と12月01日に、JR新小岩近辺で同窓会開催で「即出席」の返事、あれよあれよの展開。“鳩が豆鉄砲を食った”ような按配でもある。やはりどなたか中心のメンバーの数人がいて、その努力のたまものである。自分の人生の空白の部分がいきなり埋まったのにはただもうびっくりだ。50年以上前の級友であれ感謝あるのみ。

添付は昭和32年04月、中学1年入学時の画像。戦後12年目。

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2013/10/22  4:39

投稿者:湘南の暇人
この中学のある石原町は東京大空襲で甚大な被害があったところ。今は東京スカイツリーの見えるいいところですが、当時は町工場が密集して雑多な町でした。縦横を走る運河も整備されました。

http://www1.odn.ne.jp/~ceg94520/homepage/index.html

2013/10/20  17:58

投稿者:なりひら
昭和30年代のことを思い出しました。あの頃の日本は、発展あるのみで、みんな元気に頑張っていたなあ・・・。

http://happy.ap.teacup.com/ibaraki-doji/

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