2014/4/16  19:20

小野田寛郎  身辺世相
今年になって旧帝国陸軍軍人・小野田寛郎(ひろお)氏が亡くなった、91歳。小野田氏は40年前の昭和49年、フィリピン・ルバング島で発見されて帰還した。太平洋戦争など忘れかけている日本の世相に衝撃だった。陸軍中野学校出身で軍人らしい軍人の出没は、その2年前の「穴倉」に潜んで居た横井さんより衝撃の度合いが違った。

一年後、小野田氏は日本を去ってブラジルに行く。日本の「平和主義」か「軍国主義」かのイデオロギーの尺度が嫌になったからである。小野田さんが言う靖国神社は「靖国神社で会おう」と約束して死んでいった仲間が合祀されている。現在の価値観で単純に誹謗することに我慢できなかった。単純な平和主義は、単純に戦前を否定する。国家の命令で任務に就いた軍人に、今も権力の一翼であるメディアはただ事実を報道するだけで、記者は斟酌する近代史の知識がなく正否の尺度が無かった。靖国神社は、強烈な教義を持つ宗教施設ではない。カソリックでさえ問題視しない“超宗派”の存在。「千鳥ヶ淵」はあくまで墓地だ。中国・韓国は靖国神社を墓地と言ってはばからない。

NHK・BS放送『生き抜く、小野田寛郎』(2005年、DVDに録画)の感想は又の機会にするが、小野田氏のインタビューの受け答えは淡々として太平洋戦争を理解するのに貴重。このとき取材した作家が戸井十月、65歳と若いが、平成25年病死している。最初に向う見ずにジャングルに分け入って小野田氏を発見した冒険家・鈴木紀夫は昭和61年、38歳でヒマラヤで遭難死した。

奥さんの町枝さんは、押しかけ女房。ブラジルで牧場経営を決意した小野田氏と兄のところへ町枝さんが押しかけた。“へんな女”に小野田兄弟は途方に暮れたのが事実。玄関前で、寝袋で寝るというのを可哀そうだからと家の中へ入れてあげた。そこは男と女、二人はできてしまった。29年間で現地のフィリピン軍人、警察官を○○人射殺!した小野田氏、妙齢の女性には甚だ弱かった。漆黒の闇夜でもルバングとブラジル、軍人と普通人、全然意味が違うが。

米紙ワシントン・ポスト(電子版)は01月17日、日本時間16日に死去した元陸軍少尉の小野田寛郎さんの評伝を大きく掲載した。戦中戦後の30年間潜伏してジャングル生活をした小野田さんを「多くの日本人にとって忍耐・忠誠・犠牲といった戦前の美徳を体現する存在だった」と好意的に伝えた。

日本の拠点・小野田自然塾事務所は中央区佃。存続は協議中。合掌。

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