2014/5/5  10:00

山本五十六02  昭和史
日本の海軍は明治時代初期の幕府軍・勝海舟が元祖。精査していないが海軍兵学校・海軍大学では、英語は基礎の外国語だろう。だから大正時代アメリカハーバード大学に留学した山本五十六に当然英語力はあり、英会話も堪能だったのではないか。子息・山本義正は、昭和05年まで暮らした鎌倉・材木座の自宅の書棚を証言している。本棚の半分は米国の歴史に関する本だった。当時の軍人での立場だが、堂々と日本の進路に明晰な意見を持ち、陸軍や右翼の暗殺の脅迫をも恐れなかった。だからこそ周囲が海軍大臣就任を望まなかったことになる。よく知られる山本五十六の語録がある。

同期の海軍軍人・堀悌吉中将は早々と予備役。堀への手紙。
◇「大勢に押されて立ち上がざるを得ずとすれば、艦隊担当者としては到底尋常一様の作戦では見込み立たず、結局“桶狭間”と“ひよどり越え”と“川中島”とを併せ行うのやむを得ざる羽目に追い込まれる」
◇「内乱では国は滅びない。が、戦争では国が滅びる。内乱を避けるために、戦争に賭けるとは、主客顛倒もはなはだしい」
日独伊三国同盟に対しての発言。
◇「あんなもの結んだらアメリカと戦争になる。そうなったら東京なんか三度くらい丸焼けにされて日本人は惨めな目を見るだろう」
山本の秘書を勤めていた実松譲(さねまつゆずる)への雑談。
◇「君、アメリカと戦争をはじめようと本気で考える連中がいるんだね」
近衛文麿総理大臣に、米戦争の見込みの如何を訊かれる。
◇「是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ。三国条約が出来たのは致方ないが、かくなりし上は日米戦争を回避する様、極力御努力願ひたい」

山本五十六(前2列左)1884生、海軍大将、連合艦隊司令官
米内光政(前2列4人目)1880生、海軍大将、第37代総理大臣
伏見宮博恭王(前2列5人目)1875生、昭和15年まで軍令部総長
嶋田繁太郎(前2列右側)1883生、海軍大将、昭和16年海軍大臣

クリックすると元のサイズで表示します
11


※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ