2014/5/20  21:38

山本五十六04  昭和史
没後70年経過しても山本五十六の評価が高いのは、戦争しか知らない単なる海軍軍人では無かったこと、逸早く近代戦における「航空機」に着目したことにある。映画「タイタニック」でも解るように大正時代、1912年頃は、エネルギーは石油ではなく石炭で動力を動かす蒸気船だった。山本は、航空機による時代の到来を早くから予期、戦艦「大和」の建造に反対、日米開戦には最も反対していた。昭和15年(1940)海軍大将に昇格。しかし反戦の意向は実らず、却って昭和16年(1941)12月、真珠湾攻撃を命令することになる。

日独伊三国軍事同盟は、米内・山本・井上海軍良識派トリオが反対するにも関わらず成立。同盟反対は、彼ら軍政畑を歩いてきた軍人だからの真っ当な認識であろう。今思えば常識で正論。だが日米戦争に至る対立は、当初は中国のイギリス租界(中国における外国人居留地区)における「天津事件」だった。そこでの中国人の日本人への虐殺事件が“反英感情”に火を点けた。(「昭和史」P249)それが日独伊三国同盟への呼び水となった。背景に中国戦線における泥沼化、日本の経済的事情からの「満州」への国民感情もあった。

山本の秘書を勤めていた実松譲(さねまつゆずる・平成08年死)があるとき執務室の雑談で「君、アメリカと戦争をはじめようと本気で考える連中がいるんだね」とあきれたようにつぶやいていた山本の思い出を語っている。(「昭和史忘れ得ぬ証言者たち」P66)つまり山本は、日本がアメリカと戦争するような国力はないとの数字と事実を早くから判っていた。山本が止めようとしたのは、感情よりも純粋に軍人としての物理的判断だった。

次回は山本五十六の「真珠湾攻撃」の真意と日米戦争開始の真の責任者を記述して山本は終了。阿川弘之著『米内光政』『山本五十六』『井上茂美』の三部作がある。米内も井上も日米非戦論者で取り上げたい海軍大将。

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