2014/5/22  9:21

山本五十六05  昭和史
米軍の拠点・ハワイ真珠湾を撃破して外交交渉で早期終結することが、日本が生き残る唯一の道と山本五十六は信じた。だがそこには多くの困難が待ち受けた。ハワイまで米軍に知られず接近できるか。水深のない湾で既存の魚雷が使えるか。その難問に山本は、技術開発と極秘訓練を繰り返した。鹿児島錦江湾が使われた。山本にできることはあくまで実戦。実戦を生かすも殺すもその先は、大本営・内閣の責任。山本はあくまで交渉妥結を望む。交渉妥結の見込みがあれば、作戦を中止するよう指示。連合艦隊の最終打ち合せでの山本と指揮官たちの応酬の言葉に「ワシントンで行われている対米交渉が妥結したなら、ハワイ出動部隊はただちに反転して帰投せよ」と指示した。

蛇足だが駐日アメリカ大使ジョセフ・グルーは昭和16年02月の段階で日本の「真珠湾攻撃」情報を入手、打電している。アメリカ政府は「極東の小国」日本がアメリカを攻撃などできるわけはないとグルー情報を笑った。

山本は「外交交渉妥結」に力点を置いた。だが南雲忠一中将など何人かの指揮官は「それは無理な注文です。出しかけた小便は止められません」(「昭和史」P372)と返答した。これに山本は激怒。「もしこの命令を受けて帰れないと思う指揮官があるなら即刻辞表を出せ。百年兵を養うは、ただ平和を守るためである」これは折に触れて紹介される件だ。昭和史に多くの著書を持つ半藤一利氏は「山本五十六が、昭和天皇の中に大元帥と天皇がいるんだということを知っていた」(「昭和史の論点」P153)と推論する。つまり天皇の大権で大元帥の作戦を止められたのではないかとの分析。ここは重要である。山本は外交交渉成立を望んでいたことになる。それがダメなら「宣戦布告」を条件とした。日米どちらの責任か「無通告」となったのは知られるところ。

昭和16(1941)年12月08日、日本海軍航空母艦から発進した航空機183機がアメリカ軍基地の真珠湾に攻撃を開始した。これは「騙し討ち」と米世論を激昂させた。兄弟国のイギリス・ロンドンがナチス・ドイツの空襲に晒されていてもモンロー主義と云いアメリカは戦争をしなかった。最初の“日本の一発”を待望!していたのは今日では明らか。アメリカは国の総力を挙げて逆襲に転じた。当初の山本の狙いは見事に外れ戦争は長期化した。昭和18年04月18日の山本五十六墜落死の真相は不明だが、傍証からして自分の死が戦争中止の契機になればと考えたのは忖度・斟酌できる。それから何と2年後に昭和天皇の意を汲んだ鈴木貫太郎がようやく終戦へと導く。昭和20年、山本の的確な予測通り東京は焦土と化していた。山本を政治の中枢から遠ざけた真犯人は、昭和史に少しでも興味があれば大体解る筈だ。

月末の仕事が到着。しばらくお休みします。

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