2015/6/12  17:21

電気街  身辺世相
テリトリー東京I 秋葉原01 電気街
筆者の東京生活を“テリトリー東京”として一昨年・昨年に記述・回想した。正確には昭和32(1957)年(中学校入学)から57(1982)年までの25年間。以後、平成16年(2004)まで22年間は、神奈川県平塚市から秋葉原まで毎日往復4時間の通勤。千代田区外神田の会社勤務は、昭和45年(1970)、25歳からの34年間。計47年間。この詳説は割愛して「テリトリー東京」はこれまで9回。

@千代田区神田明神下A江東区佐賀町・永代橋B江東区門前仲町C神田神保町D墨田区錦糸町E墨田区業平F中央区日本橋G台東区浅草H東京駅だった。番外編として墨田区石原町。実際に居住したのは、墨田区業平・墨田区錦糸町・江東区佐賀町・墨田区立花(事実上江東区亀戸)、他は勤務先と読書や映画など好んで訪れた処。

神田明神下は交差点の名称、所謂“秋葉原”の西側の一角。正確にはJR秋葉原駅はあるが町名にはない。駅の西側は、千代田区外神田、東北側は神田松永町、神田練塀町、東南は神田佐久間町、外神田から神田川を越えれば神田淡路町。つい最近まで「鉄道博物館」があった。

秋葉原は、戦後70年間の東京の部分にせよ栄枯盛衰を象徴する。昔は電気製品なら先ず秋葉原電気街で購入するのが都民の習性だった。車社会の発達で、郊外型の量販店と駅前の量販店に今では二極化された。都市生活及び通勤圏拡大が秋葉原の構造改革を促した。更に考えられなかった通販の勃興、携帯電話の発達が消費生活を変えた。

 新しきCD機器を開けるとき金属のにほひ立ち昇りたり 平成12年

秋葉原は駅のホーム東側の操車場跡が開発されて「つくばエクスプレスが開通、「ヨドバシカメラ」ができて従来の量販店は姿を消した。石丸電気、ヤマギワ電気は無くなり、ラオックスは中国資本になった。若者を引き付けるためかメイドカフェ・ネットカフェなるものが勃興。

昭和の後半からは録画機・ビデオデッキが電化製品の一角を為し、ビデオカメラにも凝って更にS端子などコードに拘った。今では「ブルーレイディスク」に統一されて録画機ベータで敗れたソニーは名誉を回復した形。オーディオ製品は下火だが根強いファンがいる。録画とオーディオ趣味は秋葉原勤務が原点だ。秋葉原は様変わりしたが」、パソコン・オーディオのパーツのこじんまりした店は健在。外神田の入り組んだ路地にはまだ昔の秋葉原の風情は残る。

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2015/6/15  23:09

投稿者:湘南の暇人
「私解戦争の昭和史」は単なる私的解釈ですが、3章の松岡洋右と近衛文麿は単なる“読解”です。松岡は関わった人物の影響が大、近衛は気弱な貴族、といった捉え方で鋭意、推敲中です。

「日米開戦の責任者たち」は昨年、「インパール作戦」も昨年書き直しました。以前より少しマシかなと言った按配。

16人の朝鮮人慰安婦の人権が叫ばれて、310万人の戦死者の「男の人権」は無いのか、が基本です。
行きたくもない戦争に駆り出されて死んだ一市民の遺族は、何か言ってあげないとと思いますね。

http://www1.odn.ne.jp/~ceg94520/homepage/

2015/6/15  18:20

私解戦争の昭和史を読ませてもらっています。
まだ最初の部分だけですが、短歌反論の反論にはとても同意できて、また短歌集には大変感銘を受けました。
私はブログ主さんより7歳年下の63歳なのですが、とても勉強になり、これからこの先を楽しみに読ませてもらいます。本当に素晴らしい内容だと思います。

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