おはようございます。
できましたの声 その努力が伝わります。
「大丈夫ですか。」と尋ねると
「できました!」の声。
塾内のテストでも点がしっかりととれている
花陵中3年のSさん。
明成塾では、入塾の際に、苦手教科を尋ねます。Sさんの苦手教科は数学と英語でした。しかし、まだ入塾されてから2か月ちょっとなのですが、だんだんできるようになってきています。
塾では、数学は今因数分解が終わったところです。英語もまあ、例年と変わらぬ進み方(むしろ過年の復習もできている点ではより充実している)です。
しかしながら、学校の進み方は差が大きいですね。例えば、中学では熊大附属中はオンラインでの授業が進められていますが、健康観察はやるが宿題を渡してそれやっておいてねみたいなところも多いようです。
塾では、そのような点にも配慮して授業の復習を徹底しています。
花陵中のSさんだけでなく、塾生のみなさんの努力があります。いうまでもなく、それは彼女たち自身の糧となるわけですが、その努力する姿勢に一言いいたい。
ありがとう! みんな!
*この前テレビで見た学校
先日ですが、テレビで極めて自由な学校が紹介されていました。ゲームをやっている子もいましたし、廊下で騒いでいるような子もいました。授業(勉強)はというと、その子がやりたくなったら参加するというようなものでした。その校長先生は一定の評価を得ているとのことでした。花火のようなものをもって走り回っていました。ところが、あるシーンでは、担任の先生が子供に「授業に参加しないか」と言った呼びかけをしている場面があったのです。私はなぜかその場面が気になりました。
学校とは何か?ということにも関連し深い問題があるかもしれませんが、個人的には全く評価できない。もちろん、テレビで報道された場面のみでの判断で詳細を知らないでの判断です。
「時代遅れの人間」として言えば、まず子供の将来を考えているかということです。確率的には、自発的に動き出す子供もいるでしょう。しかし、それによって、その校長の年齢になったときに、花火をして暮らせるような立場になれるのかということです(より具体化すると、同様の経済力があり生活が困難ではない人生が謳歌できるのか)。そう単純なことではないかもしれませんが、学校にきて遊ぶくらいなら、何かしら作業でもさせた方がいい 「これが時代遅れの人間」の発想です。例えば、新聞配達などは、私の子供のころは多くの新聞少年が配っていました。大人の仕事を奪うなと今は怒られそうですが、これなどは子供でもできるようにすればいい。入れそこなったら、もの凄いけんか腰の苦情がきたり、犬にありえないほど吠え掛かられたりといろいろある。雨の中でずぶぬれになる。今のようなビニール袋はないが、濡らしたら怒られる。なお子供のできる仕事はほかにもある。空き缶をつぶして集めるとする。倒れるほど頑張ってもほとんど金にならないかもしれない。そういった分野の多くが資源という名のもとに公的な聖域となったのでできないこともあろう。
いうまでもなく、学校は個々の子供の将来に対する責任はない。子供の向こうには親がいる。将来像にもっとも寄与すべきは親であることは間違いない。しかし、生徒は自由であるとして学校にまで来てゲームをしたり、遊んだりして時間をつぶすこととが、例えばその校長のような社会的立ち位置になれるのかを教えることこそ教育だと考える。もっと簡単に言えば、校長は自分が努力してきたこと伝えるべきであり、また多くの人々がたゆまぬ努力をしていることを伝えるべきと考える。少なくとも責任の伴わない自由では子供がかわいそうだと思った。まず、斬新さなどどうでもよくその校長がひとりひとりの子供に幸せになってほしいと心から思っているのか その気持ちで動いているのか 実はこれに尽きる。
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