4月は新学年を迎えるときだ。そうして自分を、これまでとは違ったようにクリエートしていける時期でもある。
新しい芽吹きが見られるこの季節は、人にとっても同様のチャンスがあろう。それは特に学生にとって当てはまる。新中1となる者には、新しい友達との出会い、新しい校舎との出会い、そうして先生との出会いがある。しかし、新しさというものは、外部の要因で決まるものではない。それはまさに植物の芽吹きの要因が植物本体のなかにあるのと同じであろう。
新学年を迎えるにあたり、『何かしたい!』という意志が必要であり、そうしてまたそれが具体化する必要がある。まわりから、いくら、入学おめでとうと言われてみても、その生徒自身のなかに、芽吹きの要素がなければ、それはなかば死んだも同然である。
この国では、こどものころに受ける情報が多くなっている。それは時には、あきらめの時期の早さを決定しているとも思われる。すでに、中学の低学年、あるいは小学の高学年ともなれば、一種のあきらめムードに浸った子供も多い。どういうことかといえば、勉強については、学習意志の喪失である。『〜君は頭がいい。』だとか、『〜君のうちは金持ち』だとか言った感覚が、ハングリー精神には結びつかず、あきらめの方向にこどもを運んでいるわけである。上位高校をめざす生徒においてもしかり。彼らの勉強というものの多くは、やらされている場合が多いということだ。知的探求といった方向性が動かすのではない。もちろん、それがすべてではないにせよ、上位高、上位大学そして・・・とすすむプロトタイプを生み出す社会背景を必要悪として大人たちが見ていることの投影にすぎない。
十年一昔で社会環境は大きく変わった。そのような現代社会において、新しい一歩を踏み出す諸君は、自己の夢を心に抱き、その実現に向けて努力にてほしいものである。そうすれば、少なからず、それは君自身の決定した生き方となろう。

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