この春から塾に通われる生徒さんもいるだろう。そんな生徒さんや保護者の方に塾選びの一つの基準をご提案したい。
そもそも塾に行かれる目的はなにか。
親の考えは成績アップだろうが、お子さんの考えは必ずしもそうではないかもしれない。
「うちの子は塾に行っていても成績があがらない」という場合に、お子さんの力を出し切っている場合には、それは「塾にいっているので、現在の成績が維持できている」と言い換えるべき場合もある。そのような生徒さんは、基本的に自主性に欠けるタイプだろう。ある塾生の子が、「いまの中学生は、指示待ち人間なんですよ。」と言ったことがある。それは社会の風潮が生み出した典型かもしれない。こどもを勉強に突き動かす動機が、明確ではないからである。そうすると、こんなお子さんの塾選択の基準もとくにないかもしれない。つまり、どこに行けば、自分の合格の可能性が高まるのかは、雰囲気で選ぶことになろう。例えば、某塾が、公立〇×高校に▲▲名合格とかけば、ううんここがいいとおもうだろう。
たしかにそのような選択もないではない。PRする側も、それを狙ってチラシをだしているからである。
ここで私が提案する基準は、自己が教える側に立って考えるというだけである。そうすると塾にきた生徒の成績アップをいかに実現するのかを考えなければならない。先生となったあなたのクラスには、〇×高校を受験したいという生徒が20名以上集まっている。あなたはどういう授業をするのか。あなたの目は教室のコーナーの子まで届くのか。授業中にひとりひとりに生じうる理解不十分な箇所を理解させうるのか。結論としてこの教室から〇×高校に合格する生徒の割合は、公立受験者全体の合格率とほとんど差異はないかもしれない。合格者数とは、あくまでも「数」にすぎず、受験者の合格可能性とは、それのみでは無縁のものということは、数学で確率をまなんだ人ならわかるだろう。
このように教える側の立場になれば、ひとりひとりの合格にどのような塾が貢献できるのかは見えてくる。
ところで、上記のような見方は、成績をあげようというお考えの生徒さん、保護者様へのメッセージであって、塾にいっていること自体になんらかの意味を求められている方へのメッセージではない。以前当塾に面談にこられた生徒さんのお父さんが、この塾は小さいな、大丈夫かいと息子さんに入り口で話されていたのが聞こえてきたことがある。即ち、そのお父さんの塾の評価は器の大きさだったわけである。これは一例であって、学力アップという内実ではなく、塾を評価される方がおられるのは事実である。そのような方には、そのような方にふさわしい結果が待っているというほかはない。
ところで熊本では四高なる概念が踊っているが、それも県外の者にすれば、やや不思議である。あたかも、それ以外の高校は下に格付けされているような風にさえとれる。
そのような、地域的概念をだれが生みし、またなんのために生み出しているのかを考えるのもいいだろう。明成塾は各学年を定員制12名としていて、これまで電波高専、熊本高校、済々黌高校、第二高校、必由館高校、熊本西理数などに進学している。例のお父さんにしてみれば、こんな小さな塾から、高専への合格率は近年100%である(10分の10)。もちろんすべてが完璧ではない。不合格者もでている。当塾では、四高校なる概念は、さらさらない。模試などで熊高A判定の生徒さんが、電波高専に進学したりといったことはざらである。つまり、何が生徒にとってプラスなのか?それだけである。
先日ある中2保護者の方から、熊高や済々を受験しなければならないのかという問合せがあった。まったくそういうことではなくて、志が高ければ、普通高校への進学ならば、上位高校を狙うほうが、その後の大学受験という点において有利であろうという趣旨である。したがって、お子様自身の人生に有利になるようにする方法のサンプルに過ぎない。特にこの学校だといった肩入れなどないわけである。ただ例えば生徒さんが、済々黌に行きたいという場合には、大げさな言い方かもしれないが人生の一部をかけてでも合格させたいというのが本音。したがって、明成塾では本気の生徒さんを求めていいる。そうして本気には本気で対応する。それが当塾の存在理由だからです。
ご近所で、本当に成績を伸ばしたい場合には、このメッセージを参考に探されればいいと思います。

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