人間は年をとれば、成長するのか。
こどものころは、昨日と今日の違いが明確であるかもしれない。
ある少年が言った。友達の言動が突然に変わったので、殴りたくなったと。思うに嘘にも効用ある嘘、裏切りとはならない嘘といったものもあるかもしれない。それらはたわいもない嘘であったりする。しかし相手の気持ちを踏みにじる類の嘘もある。そうして現在の子供はこの手の嘘を平気で言ってのける者も10年以前に比べれば、増えてきていると感じる。
これを「大人社会の映し絵」だと言ってしまえば、話はそこで終わる。筋の通った行動を子供が見ることができないという理由は確かにその通りではあるが、それで終われば発展性のない話となる。
そのため話しは、親のレベルで留めよう。親が背反する行為を子供に見せると、純粋な子供は、その矛盾が心に蓄積する。親の職業などといった社会的地位とは無関係である。なぜなら、心の琴線の問題は、社会的存在といった次元と異にするからだ。矛盾する話を時間を置いて平気で言ってのける親は要注意だろう。それは子供には醜さとしか映らない。以前にこんなことがあった。ある生徒が、その親のことをよくほめていた。すごい仕事をしているといった類の話であった。ここまでは、よくある親への尊敬の現われといった話なのだが、彼が敬意の対象としていたのは、実はその親の社会的地位であったのだ。受験期になり、彼はほとんど親とは口を聞かなくなっていた。尊敬の対象としていたその父は、日々の仕事に追われて昨日と今日の区別もつかぬほどに忙殺されていた。
人は年をとれば、どれくらい心の成長をみるのか。ときには、子供の側よりも大人の側が自己に貼られたラベルをはぎとった次元で考えるべきときもあろう。

0