今日は熊本では、中学の卒業式だ。友との歩んだ日々に一つの区切りをつける日だ。何かが終了するというわけではない。他との比較は文化論におちてしまうので避けよう。卒業する君たちには、人として何か得たものがあるか。今は一昔前に比べると、「心の希薄」を常に感じる時代だ。もちろん、今を生きる中学生諸君には、それを感じることはすくないだろう。時代間の比較材料をもたないからだ。君たちの生まれる前に、若い人々がこの国をあつく語った時代があった。そして、人々のなかには、音楽の歌詞にのせてその心を歌った者もいた。クラスでは、勉強の苦手な子に、できる子が教えたりする。そして、いわゆる悪の少年たちは街を徘徊したりするが、弱いものには手を出さない。いじめや不登校と言った話は、天然記念物レベルの話であった時代。少年たちは、集まって、みなで野球などしていた。いまでは爺さんや婆さんのたまり場となっているようなところでだ。子供たちは、心で行動していたのかもしれない。
ニュースでは父親が学校へ行くように言ったので、家に放火した中学生の話や、土嚢をビルの上から落下した高校生の話をしていた。日本は、
異常に変質してしまった。もしかすると脳に異変がおきているのかも。
その原因をどうこう言うのは避けよう。ただそのような社会のなかで、
中学生を卒業する君は、何を求めて生きていくかだ。日本は少子高齢化が進行し、一方では、公民などで勉強したように国の借金などが増え続けるだろう。そんな社会でうわべだけで人に合わせて引きつった顔で笑うのではなく、心から楽しく生きることは大変になると思われる。いろいろな面で努力が報われにくい社会構造にもなってきている。優秀な者がかならずしも芽が出るとは限らない。ぼんくらのボンボンに、日々努力して頑張った者が敗れるだろう。そんなとき君は何を礎とするのか。
卒業とは、新たな一歩だ。それは高校という次のたまり場への一歩であると同時に、未来への自己の展開を模索する第一歩でもある。そして君なりに生きる礎を求める人生の旅のはじまりなのである。
卒業はスタートで、それはあの式典にでることではない。

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