「実は世界は広がっていないし、持ち時間も変わらない」
塾長のひとりごと
確かに、この20年も前と比べれば、いろいろな意味で環境は変わったかに見える。一つは、情報の機会だ。有り余る情報に接し、そして発信するといった機会が増えたと言えよう。しかし、そもそも情報それ自体が増えたわけではないし、情報に基づいて動ける能力が高まったわけでもない。つまりは、人の能力そのものは、例外を除けば変わらない。学力の低下なども言われる今日であるが、それが一面的なことであるにせよ、情報の機会に動かされているという側面があるようにも思える。
実よりも関係性が時間を消費している場面によく出くわす。卑近な例では、保護者の方から「うちの子は、夜遅くまで動画ばかりみている。」とかLINEをやっているとか言った話を聞くが、そのお子さんと情報との間の「関係性」が、何らかの意味で「心」を満たしているともいえる。
しかし、ある時、川につりに出かけて何時間たってもつれずに、友達と一緒に石を投げ込んだその時、横にいたおじさんから「バカヤロー」と怒鳴られて、「すいません」と謝りながらも、「なんやあいつは」と帰りに友達と笑い話をするとか、テストで頑張って点がとれて、友達から「すごいじゃん」と言われてうれしくなる瞬間とか、そんな「実」の世界の経験のための持ち時間は変わらない。
現在は、「実」と「関係性」の融和までの過渡期にあると思える。子どものころの時間を、どういった風に使うかが問われるところだろう。なぜなら、いつまでも子どもと言うわけにはいかないからだ。
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