最近の生徒は読書することが少ないと聞く。
塾生のBさんが、はじめて最後まで本を読んだ。午前二時まで夢中で読んだ。と笑顔で話した。
身近に、現在は活字離れが進んでいるということを実感した。それでは昔はどうだったろうか。俺の場合、本を読むこと自体、子供のころ考えたこともなかった。そんなことする暇があったら、みんなで集まり野球をしたり、あるいは釣りに行ったり、また将棋なんかもしたりという日々だった。
しかし、小6のある日、知っている少年(さして友達というほどでもない)が、バイトをした金で本を買うという話を聞いて驚いた(昔は少年が新聞を配達したりしてたんだ。これも今なら不思議かな?)。
そいつの家にいく機会を偶然得て部屋に上がると、SFやら推理小説やらショートショートやらが所狭しと並び、そして重ねられていた。漫画本ならいざ知らずだ。そんなに面白いのか?と俺はその少年から一冊だけ本を借りた。最初数ページ読んだがわくわくする感じよりもむしろ退屈する
だけだった。
相変わらず読書など眼中にない日々を送っていたが、ある日家にあった一冊の本を読破した。それは少年の波乱万丈の生き方を描いた本だった。
喧嘩に明け暮れる少年の話であったが、時代背景のなかでうまく描かれた主人公の人物描写に感動したものだ。それからゆわゆる文学とよばれるもの、たとえば鴎外、漱石、潤一郎、龍之介、治、安吾、辰雄、直哉、康成、由紀夫、基次郎などなど、もろもろそして海外の作家もさまざまなジャンルを読むことになる。
ところで、多くの本を読んでいても決して読書好きという風には思っていない。人が面白いといっても、最初の数行で読まないことも多い。要はぴんと来るものがあるかどうかだと思っている。
読書において得るものは、作者の頭脳を通した疑似体験だろう。擬似的な体験を読むという行為を通して味わうことになる。そのとき、作者の仕向けたセオリーに従う必要はない。自分なりの解釈を加えることもできる。そうすることにより、時空をこえて作者と対話ができるかもしれない。そのような経験は少なくともないよりはあったほうがましであろうね。(ちなみに、上記の本は「けんかえれじい」(鈴木何某著))

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