最近、地元の新聞に連載された高校入試における学区拡大について私見を述べよう。
まず是非についてだが、結論としては賛成である。
この学区拡大のほんとうの目的が『だれのためか』はさておいて、結果として子供たちにいまの段階で実質的な公平の機会をあたえるものかどうかという点と、学区拡大にともなう遠距離通学等の負担などを比較したうえで、大手を振ってではないが、まあいたしかたなく賛成することになる。
そもそも、同一の県下にありながら、「県立」と冠した高校に進学するのに、その生徒の住む住居の地域によって進学条件が異なることは、公平ではない。たしかに教育行政上の理由もあるであろう。そしてまたいわゆる人気高校とやらに、受験者の集中をみて、過当な受験競争をうむだとか、衰退する高校がでるだとか、一方にはそのような反対理由があることもうなずける。なかには、熊本市の中学生の進学が難しくなるといった保護者の意見あろう。この最後のものは、気持ちはわからないではないが、学区拡大否定の理由にはなりえない。
反対理由を考慮しても、やはり、県営の高校に同県にありながら、進学条件が異なる方が合理性をはるかに欠く。教育行政上の理想を追求すれば、各地域にいろんな点で核となる高校が存在すれば、問題ないわけであろうけれど、そうはいかないわけである。なぜなら、熊本には前近代的な高校間の学力ランキングがあり、学校名といった人為的なラベルに踊らされる風潮もある。それはある種のヒエラルキーでときに他県の者には、不思議なものらしい。本当は、これを打ち破る改革こそが必要なのだが(例えば、純粋な意味での学力拠点高やスポーツの拠点高、職能の拠点高を各エリアに分散させ、同一のレベルの授業を行うなど)、既存の価値観に縛られている以上、現状ではまず案さえでまい。しかし、このような改革は地域間格差の是正と同時に、生徒の進学の実質的均等に資するものでさえある。
ともあれ、何が生徒のためであるのかという視点が大事であろう。そしてここに言う生徒とは、特定の地域の生徒をさすものであってはならない。新聞の記事の中には、大手の塾の社長さんの言葉として「市場が広がる」というものがあった。それはそれで資本主義の原理だから、まあその通りであろうけれど、俺はそんなことより、この改革は過渡期のものである必要を感じる。なぜなら受験機会の均等とは言っても、依然として市外からの進学の方が負担は大きい。近い将来は、他県にみないような地域間格差を解消するような改革が望まれる。

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