年がかわった。それは既成のサイクルなのだが、ある意味で、それが既成のものゆえに重要なものだと考えている。
ポイントは、単に社交辞令で「おめでとう」と言うばかりではなく、この1年の始まりをどういかすかだろう。塾生諸君の場合、学力アップに関して具体的に実行する1年とするかどうかが大切になる。もちろん、他の実行したいことにも全力で立ち向かっていくのが良い。例えば、部活をやっている君は本気でやればいいし、そもそも惰性でやっていればやめてしまえばいいだろう。絵を描くのが好きな君は、何かに作品を出してみるのも良い。スマホばかりいじっている君は、相変わらず今年もその生活の継続だろうか。
年が変わって君の日常は、変わっただろうか。お年玉をもらって、テレビの前で正月気分というものに浸っただろうか。あるいは、親に言われて先祖の墓に参っただろうか。先祖の血は君の中に流れていて、常に君とともに実はある。君は、多くの彼や彼女なしでは存在しえない。日常の瞬間は、その血への感謝への連続であり、また自己の行動を彼ら彼女らすべてが支えてくれていると思えば、君は日々をより大切なものと考えられるだろう。私は、科学的、あるいは生物学的な話をしているのではないし、ましてや迷信的な話をしているわけでもない。
君の日常は、月や年の変化がどうこうするものではなく、君自身が変えていくものであり、ちょっぴり、ときどき君の存在を可能とした者のことを思い出せば、君自身がやるべきことが見えてくるのではないだろうか。
1日も普通に仕事をしている卒塾生がいた。今年は、1日、2日はお休みの店も多いと年末にニュースかなにかで言っていた。そのとき、「休みだと、ちょっと困る。こっちが休めないよね・・」というようなことをインタビューされた女性が言っていた。連休、連休とバカの・・・のように連呼する声は、いったい誰のための連休を言っているのだろうか。そもそも、従来は三が日はほとんどの店が休んでいた。この流れを変えたのは、コンビニの台頭だそうだ。グローバルの波ということだろう。しかし、1日に開けても、利益がそう伸びないから、そして人手不足との理由で開店しない店もでてきたという。様々な力学が働いているわけだ。
「もう、いくつ寝るとお正月・・」
ショッピングモールで流れているこの歌が、無縁の現代社会。
未来は一層君の意志と行動力を要するだろう。

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