さて
先日から考えていたことを書こうかな。
最近空前の農業ブームだという。
現場はそんなことどうでもいいことなんだが
それに輪を描くように自然栽培に目を向ける人が多いらしい。
理由は「せっかくはやりの農業ならば自然栽培で」ということらしい。
本当にそう信じて来るならば迎えるほうにも対応の仕方があるんだ。
本音で話して、現場の大事な事を伝えなければならない。
それをやっていくことで本当の農業という仕事を理解できると思う。
本当の農業って何なんだ?
ちゃんと考えているのならいいけど
流行に流されてくる人は何も考えていない。
そこは問題だ。
今までの自民党の政策で農業はグチャグチャなんだよね。
甘えてきた農家にも責任があるのさ。
その流れで本物を追いかけるとつまはじきに合うわけなんだけど
それでも頑張ってきている人たちがいる。
そこにある本物のの正体とは何なのか?
私もよくわかっていなくて入り込んだ。
だがやっていくうちにその本当の意味合いが判ってきた。
わかってくればのめり込むように突き進んできた。
参加して初めて判ることが出てきたっていうのが本音だよ。
それからは思うようにやれることを自分で考え自分の責任で行動してきた。
常に必死で、いつ倒れても悔いのないようにと出来る限りのことをやるという姿勢できた。
いつのまにか今の状態
全国に仲間が出来て、多くの知恵を借りれて販売もうまくいくようになってきた。
だけどいつも思っているのは、そんな教えを頂くひとに迷惑にならないこと。
無茶な相談を持ちかけないこと。
(いや、困ることが多いから相談はするけどね)
農業で生活することは厳しいよ。
スーパーに出向いて思うのは
なんでこんな値段でやれるんだ?ってことね。
自然栽培でやってみるととてもそんな値段では生産ができないという価格が並んでいるのだ。
みてため息が出る。
同じ見た目に仕上げるのに何年もかかるようなものが並ぶ。
慣行農法の凄さを思い知らされる。
そんな凄いものがこんな値段でなんでやり取りされる?
そしてそれに向かわないで自然栽培に向かおうとする理由は何?
自然の流れを考えてやる自然栽培は
化学的に研究した慣行農法とどう比較すればいい?
では私はなぜ自然栽培に向かうのか?
私はいろんな事が頭には浮かぶのだが
実際に向かっている人の頭の中は同じような事があるはず。
これから向かおうとする人も何かの思いがあるはず。
その部分こそが向かうに大事な事ではないのか?
それに向かうにはどうすればいい?
押しかけることは正解か?
師匠木村秋則氏はやさしくて断らないものだから
この押しかけで400人/日もの人が来てたそうだ。
朝家から出かけようとすると待ち伏せしてた人がサインだって・・・
それって迷惑だと思わないかい?
何かを間違っていないか?
思いを届けるなら日本人の持つ「思慮」を考えてほしい。
自然栽培はそれを生産する人の思いが出る。
必死にやってきた人はやさしいけど怖いのだ。
厳しい話を優しく笑って言ってくれる。
その事をわからないと失敗する。
簡単に言うけど、簡単に出来ることではない。
慣行ものに見劣りしない自然栽培物を生産することは簡単じゃない。
でも先人たちは簡単だという。
行きつけば簡単なのだろう。
行く途中での思いは「こんなに難しいものか!」
同じ事やっても同じものは出来てこないのだ。
何が違う?
押しかけたってそんなことが判るものか。
先人がやったことをトレースして同じものは出来ない。
それを参考にして
自分で考えることができなければ出来ない。
考えてこそ土俵に上げてもらえる。
それがスタート。
本当は優しく話したいんだよね。
でもそれでわかるかい?
高橋師匠の言葉
「教えるのは簡単だが、それは相手の為にはならない」
厳しくそう言いながらヒントをくれる師匠は
本当は優しいんだよね。
追記
何でもかんでもだめって言ってるんじゃないんだよ。
前もって言ってくれて余裕あるならいいし
メールでならちゃんと返事出しているんだからね。
でもせっかくセミナーをやっているんだから出来るだけ活用してほしいんだよね。
その為にやっているんだから・・・

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