2020/10/1

逢いたかった人〜映画「ミッドナイトスワン」雑想1  SMAP

現在全国公開中の映画「ミッドナイトスワン」。
草なぎ剛クンが主演、しかもトランスジェンダーを演じるという事で興味があった。
一方で、トランスジェンダーに対する理解が薄い自分が興味本位で見て良いのかという
葛藤もあった。
LGBTをテーマとした映画やドラマはかなり見てるけど、その度に思い悩む。
オレは差別はしない「積り」だ。でも実際に彼・彼女と対面した時フランクに付き合えるか?
口では「差別はダメだ」なんて綺麗事をぬかして、
実際に相対したら愛想笑いして逃げるんじゃないのか?
それがホンネじゃないのか(ここまでの文章も失礼極まりないが・・)。
そんな自分が剛クン見たさでこの映画を見ていいのか逡巡があった。

でも、「週刊文春WOMAN」の最新号で草なぎクン演じる「凪沙」の写真を見て気が変った。
「美しい」と思った。この人に逢いたいと、この人を知りたい、と思った。
決めた。絶対この映画を見る。
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映画を観る前は基本情報は全てシャットダウンした。
剛クン、内田監督のインタビューも読まない。SNSに溢れてる感想もなるべく無視した。
専門家がこの映画をこっぴどく批判している記事もスルーした。
事前に買っていた小説版も途中で読むのを止めた。
人(凪沙)に逢う前に、その人に関する情報を入れるなんて真っ平ゴメンだ。
真っ新な状態で逢いたい。

月曜日は所用で休暇。用事の後、上野TOHOシネマズで「ミッドナイトスワン」を見た。
館内には草なぎクンが映画館に送ったサイン入りポスターが掲示されていた。
これ1つ1つ書いてるのかな?だとしたら凄い。
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以下、感想を。ネタバレがかなり有ります。要注意


映画は凪沙がメイクしているシーンから始まる。
手から腕、そして顔を映す。・・そこに居たのは「草なぎ剛」で無く「凪沙」だった。
その瞬間、映画を観る前に抱えていた不安や逡巡は消えていた。
凪沙という存在に目を奪われ・・・目を離せなくなっていた。
凪沙が引取る一果の佇まいやバレエを踊るシーンも素晴らしかったが・・・
ボクはともかく凪沙を見ていた。このヒトの一挙一同を見逃したくなかった。

凪沙は女性の体を手に入れたくてニューハーフショーのお店で働きお金を貯めている。
お店の同僚とは仲良くしているが、一緒に騒がず何処か醒めている。
その佇まいが良かった。
それは一果も同じ。殆ど話さず笑わない。醒めた目で世界を見ている。
2人の醒めた目、それは2人の孤独をそのまま表している気がした。
2人があんな視線を持つようになったそれまでの人生を想像すると心が痛くなった。

最初は心を通じることが無かった2人が中盤、心を通わせる。
腕を噛む一果を抱きしめてながら凪沙が放った叫び。
「ワタシたちみたいなのは1人で生きてゆくしかない。強くなるしかない!」
このシーン、凪沙の核に触れた気がした。その核にあるのはやっぱり孤独だった。

孤独な2人。でも一果は凪沙と違っていた。一果はバレエの才能を持っていた。
踊ることで一果は友を持ち師を持ち、どんどん世界を広げた。
でも、凪沙は一果が前に進むのを喜び応援する。
凪沙の満たされた笑顔・・・あれは母性なんだろうか。それとも別の感情?
ボクは・・・居場所が無かった凪沙が一果という愛する存在を見つけて
一果の夢を応援する事で、自らの居場所を見つけた・・・と理解した。
自らの幸福を追求するのでなく他者を愛し慈しむことで得られる幸福。
凪沙が一果と食事したり一緒にダンスするとき見せる満たされた笑顔に・・・
余計、凪沙の孤独を感じて・・ボクは胸を衝かれた。

後半、一果のバレエに係る費用を稼ぐため凪沙は身体を売ろうとしたり男になって就職する。
夢を叶えるためにはお金が必要で、お金を稼ぐために必要なら男になる。
それは…凪沙にとって苦しい選択だったんだろうか。
いや、男の姿で一果を抱きしめる凪沙の姿がボクには凄く幸せに見えた。
献身がもたらす幸福というものがあるのだ。このシーンは胸に深く突き刺さった。

ここから最後まで物語は急展開する。一果の実母の登場、一果の友人りんの取った行動。
ダンスコンクール、母親に連れ戻される一果。外国に渡って女性になる手術を受ける凪沙。
凪沙と一果の母親との対決。
正直、展開が唐突すぎて、物語にすんなり入り込めなかった。
何故、自分を虐待していた母親を赦して一果は一緒に暮らしたのか。
何故、凪沙は急に女性になることを決心したのか。
小説版を読むと、その辺りの流れや感情の動きがつかめて理解ができたが・・・
映画だけではそこが上手く掴めなかった。それが残念。
でも、内田監督はそういう省略する手法を取る人なのかも知れない。
全てを語る必要は無いし、全てを見る必要も無い。そういう描き方もアリだと思う。
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(因みに小説版も素晴らしいです。映画観た後、読んだけど結末泣いた。おススメ♪)

映画のラスト。凪沙は成長した一果と再会する。
身体を壊し失明し、弱り切った凪沙に対し世界に旅立つチャンスを手に入れた一果。
対照的な2人。
海辺で踊る一果を見ながら、凪沙は逝く。微笑みを浮かべながら。

このシーンについて、映画を観た後、
「マイノリティの主人公を可哀想な存在として描いてマジョリティの涙を誘うお涙頂戴
の物語」と言う批判を読んだ。
勿論、意見は色々あって良いが、海辺のシーンにボクは違う印象を持った。
(その意見を書いた方を非難しているワケではありません。念のため)。

海辺のシーン、ボクは凪沙を可哀想なんてこれっぽっちも思わなかった。
寧ろ、サイコーにシアワセなシーンだと思った!
だって、凪沙が愛する一果が大好きなバレエで世界に旅立つんだぜ。
凪沙が一果のために行った献身が報われたのだ。
そして、最後一果のダンスを見ながら凪沙は逝った。
愛する者のサイコーに美しい姿を見ながら自分の生を終える。
サイコーじゃん。シアワセじゃん。
オレはこのシーン見てて本当に幸福な気分に包まれたよ(泣いたけど(^^;)

もし、オレがあの海辺に居たら眠る凪沙にこう話したい。
「がんばりましたね。(貴方の)夢が叶って良かったですね」と・・・。
そう凪沙は悲しい可哀想な存在なんかじゃない。立派に自分の生を生き切ったのだ。

そして・・・本当のラストシーン。見た瞬間、涙が一気に出た。
泣いた後、オレはまた笑った。良かったな凪沙。唯々そう想った。
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観終わった後、サントラを買った。
渋谷慶一郎さんのあの美しいメロディを是非手元に置いて聴きたいと思った。
毎日聴いてますV(^^)
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映画を見て暫くは感想がまとまらなかった。
でも小説版を読んでサントラ聴くうちに映画のイメージが自分の中で消化(昇華)できた。
見て良かった。凪沙と一果に逢えて良かった。

そして、改めて「草なぎ剛」が凄い役者だと思い知った。
剛クンは今回、役作りは全くせず現場の空気に任せて自然に演じたと話していた。
いやいや、あれを自然体で演じられるってどんだけ凄いんだ?
この人の中には、どれだけのデーモン(魔物)が棲んでるんだろう。
もっと年取ったら緒形拳とか小日向文世の様な演者さんになるのかも。
(勿論、剛クンのままで良いんですが(笑))
彼がこれからどんな映画に出るのかドラマに出るのか注目したい(来年の大河楽しみ♪)。


以上、長々と感想を書いたが、それでも未だ語り足りない(笑)。
他にも色々感じた、それこそジェンダー、差別と言うテーマについても。
そちらについては、別記事に書いた(^_^;
この映画は視て映画館を出て終わる映画じゃない。
過去視た「ソレダケ」「カランコエの花」「ナチュラルウーマン」「海辺の映画館」
同様、視て感じたことを持ち帰って育てていく・・・そういう映画だ。
未だ終わらない。これからも付き合っていくよ。ヨロシク頼むぜV(^^)

ヨモちゃん、凪沙に逢ってきたよ。美しい人だった。逢えて・・・良かったよ☆
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