2006/10/25

見る・考える・書く  コトバは武器

 「コトバは武器」もこっちで復活(笑。
 今回のテーマは「どんな視点で文章を書くか」ってこと。

 僕の仕事は内部監査。毎月、社内の部門の業務を調査して評価する。
 ミス、モレ、ルール違反、理解不足等あれば「課題」として指摘する。
 監査の上で大事なことは「見た限りの事実に基づき報告をつくる」こと。
 「主観」が入ってはイケナイ。「客観的」に見て書かなくちゃイケナイ。
 でも、「主観を捨てて客観的」にモノみるなんてムツカシイ。
 同じテーマでは僕は「どうでもイイ」、ある人は「大事」。
 人によって見方が変わる。いや相手によって変わる場合もある。

 その人の性格、経験、知識、気分その他によって大きく見方が変わる。
 出来れば「感覚」でなく「理論・理屈」で「見て書きたい」けどムツカシイ。
 また「理論・理屈」で見て書いた文章が「理論的な表現」か?との問題もある。
 「見る力」だけでなく「文章表現力」も必要。
 更に厄介なことに感情に訴えたほうが動く人もいる。あ〜ややこしい(-_-;)

 そこで疑問をもたざるを得ない。「主観的」は分るよ。
 オレがオレの好み・見方で考えりゃイインだから。
 じゃぁ「客観的」って具体的に何よ?何を以って「客観的」って決めるのよ?
 「理屈で説明がつく」ってこと?その理屈も所詮「決め事」じゃないの?

 これは「普遍的」「大衆的」も一緒。これもよくワカンナイ。
 「普遍的な表現」とか言うけど、これも誰が判断してるんだろう?
 皆がそう云うから、オレもそう思い込んんでるだけじゃないの?
 
 こんなこと悩んでも仕方ないんだけど。
 仕事なんだからウダウダ云わずに理論武装に頑張ればイインだけど。
 でもね・・・どこかで「客観=ツマンナイ」ってキモチある。
 ホントを云えば主観だらけの文章やオンガクに触れるのが好き。
 いや自分で自由に文章書く場合は「客観」なんて考えたくない。

 自分がどう見るか、どう思うか、どう書きたいか、どう聴きたいか?
 それが一番大事。それはオレという人間しか産み出せないモノだから。
 そして、人の表現もそのヒトの主観に溢れたモノが好き。
 「過度に感情的な主観」はイヤだけどね(ってオレ自身がそうなってるが笑)

 元春、祥子さん、Cocco、どんと、佐藤クン・・・
 ここで色んなオンガクについて書いてるけど、それはあくまで僕の主観。
 彼等が本当に僕が感じているメッセージをオトにこめているかはワカンナイ。
 僕は自分の都合のイイ様に解釈してるだけかも知れない。
 自分勝手に誤解して偶像化してるだけかも知れない。いや、多分そうだろう。

 勿論「客観的に物事を考える」は素晴らしい事。大切な事。
 仕事や他人との付合い、その他「公の場」で主観全開で行ったら絶対上手く行かない。
 そう、「客観的に考える」はミスや行き過ぎにブレーキをかけるって利点がある。

 でも・自分のプライベートな場では主観全開で行きたいね。
 オレの暮らし、オレの生活なんだからね。
 まぁ感情的にならない程度の「客観」はスパイス程度にふりかけてね☆
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