現在、国会では、衆議院選挙における一票の格差の是正と、(まず国会議員が身を切る改革と称して)国会議員の定数削減などが、党利党略がらみで「議論」がされています。
取り立てて衆議院選挙の「一票の格差」に関しては、このままでは解散・総選挙を行っても、それが裁判所で示した目安からすれば、違憲状態で行われたとなり、選挙自体が無効だとの判決すら出かねないという事もあり、次の政権を担いたいという政党にとっては急を要する課題の筈であるが、民主党政権も、野党の自民党も、「0増5減」などという殆ど意味の無い小手先の改善で済まそうとしているのが明らかになりつつあり、更には「比例定数80減」などという、国民の民意を意地でも国会議席数には反映させまいと思っているとしか思えない議論まで出ていありさまです。
そこで私は、原点に帰って、そもそも【あるべき選挙制度】という事について、考えてみたいと思う様になりました。
ただ、選挙制度というのは、単純に誰かや何かの基準に照らして「善悪」で決められるものでは必ずしも無く、社会選択論的には、社会構成員の各々が持つ選好基準(目的)に応じて、競争的に決められる側面が有る事を忘れてはならないと思います。そこで建設的な議論を行う為には、現行の「小選挙区」という制度を正当化している「目的」について、その妥当性について検証しつつ、国民的にもミニマム的に合意が可能な「目的」を達する為の、別の目的意識的かつ規範理論的に根拠づけられた制度の可能性について提案せねばならないと思われます。
そこでまず、現行の小選挙区制度が導入された時の議論の経緯を振り返ってみますと、この「小選挙区」制度によって、僅かな支持率の違いでも大きな議席差を齎す「小選挙区」の特性を生かして、国家の基本政策において大きな相違の無い2大政党制度を実現させるという【目的】があった事を、私は思い出します。
この【目的】は、現在の国会での議席状況を見ると、政権交代も実現されて、おおむね達成されたと思われますが、これが結果として国民の多数にとって、政治に対する閉塞感を逆に助長させたという点は、押さえておく必要があると思います。(すなわち何処が政権を取っても同じだという失望感)
更に、この小選挙区制度は、大選挙区とは異なり、各々の地域の代表を選ぶという事で、国民と国政を直結させるなどと言われていましたが、果たして実態はどうでしょうか?
我々が「地域」としてアイデンティティーを持つコミュニティーの規模は、(大都市部はともかく)少なくとも地方においては、小選挙区の区割り規模に比べて、遥かに小さいのが実態であり、とても現在の小選挙区で当選した議員の事を【地域の代表】として意識できる状態とは程遠く、むしろその小選挙区議員を必ずしも支持しない地域住民にとっては、政治への疎外感を増大させているのは、低下し続ける【投票率】にも表れていると考えられます。
これを解決する為に、国会議員の数を何十倍にでも出来れば良いのか?というと、これは元より不可能な要求であり、結論としては「小選挙区」という制度で、地域で日常的に接するコミュニティーと国政をダイレクトに繋げるという考え方自体に、そもそも無理が有ったと言わざるを得ません。
現在、衆議院での選挙制度改革というと、公明党の主張する「小選挙区・比例代表・連用制」などと言う、より比例の役割(民意の正確な反映)を強化した案やら、そもそも現行の「小選挙区・比例代表・並立制」を導入する際に、対抗案として出されていた「小選挙区・比例代表・併用制」というドイツなどで実施されている基本的には比例制度中心で議席数が決まる制度などが有りましたが、そもそも以上の3パターンに共通するのは「小選挙区」という事に固執している点があります。
しかし、上記で述べた様に、そもそも地域コミュニティーとのダイレクトな連携という意味での「小選挙区」に、実際的には殆ど意味が無いのであれば、何も「小選挙区」には拘らず、現行の行政区である【都道府県単位】という実情に合わせて複数定員の選挙区でも、むしろ実情には即した制度であるとは言えるのでは無いでしょうか?
私は【具体的な代替案】として、私案ですが
衆議院の選挙制度として
【都道府県単位での比例代表制(ドント式:非拘束名簿式)】を提案してみます。
その「目的」としては、現行の小選挙区と並立して存在する…例えば「東海ブロック」という比例代表区が、非常に広域であって、全く地域の代表としての性格を殆ど持っておらずに無意味な区割りであるという批判意識もあります。
そして同時に、小選挙区が地域の代表を選ぶという【幻想】とはキッパリ手を切り、日常的な行政区としてはより身近な都道府県という単位において、数議席〜数十議席を割り振るという事で、人口集中部に於いて特に問題となっている「マイノリティー」の存在にとっても、必要に応じて自分達の代表を国政に送る事で、社会的な弱者にとっての最大効用を考えるという、現代の法哲学における「正義論」にも適った制度にも為りうるという「目的」意識があります。
更に追加すると、
非拘束名簿式にしたのは、既存政党が軒並み信頼を落としている中で、率直な感情として
「組織」よりも直接に「人」を選びたいという、有権者の意識を反映したモノにする為です。
こうした比例中心の制度を主張すると、必ず言われる批判として、小政党乱立による、政治の不安定化やら、政策の連続性が失われるといったモノがあります。
まずこれに対する反論としては、果たして比例中心のドイツに於いて果たして政治は不安定化しているのか?といった実証的な批判も有り得ますが、社会選択論の原理的には、そこには「協力ゲーム」の理論として、物事を決める際において必ず「勝利連携」という事が生じざるを得ないという意味から、むしろ【政策中心】に各政党間でパーシャルな連携協議が常態化する事が期待されるので、現在の2大政党の下よりも更に活発に【政策中心】の議論が各政党間で為されうるという点と、その「勝利提携」での合意内容に必ずしも十分に納得はしていない社会的マイノリティーにとっても、そこに参加する事によって何らかの「譲歩」を引き出す可能性は産まれて、すぐに社会的な弱者にとっての最大効用とまで直結する所までは行かなくても、その状態の改善に寄与できる【政策】の部分的な実現に道が開かれるという点があります。
そして、国会での法案成立にという政治ゲームの場合、それは(必ずと言っても良い程に)過半数を獲得する事を要求される以上は、協力ゲーム的に言う選択肢数は必ず「賛成」か「反対」かという2つに収斂されますから、社会選択論で言う…
中村定理の中村ナンバーの考え方からすれば、決して不合理な選択が為されるという事にはなりません。
更に私の提案した
【都道府県単位での比例代表制】の場合、例え都道府県単位とは言え、地域の特性を国政に反映させうるという点においても、単純な全国1選挙区という大選挙区による比例代表に比べても、より優れており、今問題になっている【一票の格差】についても、各都道府県の人口に比例した議席配分を随時行えば、(小選挙区を何らかの形で残した制度とは異なり)限りなくゼロに近づけられるという利点も有ります。
実は、この私の(現在の)案である衆議院の
【都道府県単位での比例代表制】は、実は今の「小選挙区・比例代表・並立制」が導入される以前の「中選挙区制度」時代において、我が日本共産党が「選挙制度改革案」として政策集として掲げていた案と同じ物であるのですが、埃の被っている過去の政策でも、今こそ抜本的な選挙制度改革に臨んで、真価を発揮できる時代であると思います。
これが、国民的にもミニマム的に合意が可能な「目的」を持つ代替案と為りうる為には、更に1点重要な要素として、日本における憲法の重要性の問題があります。
現在の小選挙区制度では、支持率が仮に51%しかない政党でも、憲法改正の発議を行う事が出来る議席占有率の3分の2は、容易に実現してしまいます。
この「3分の2ルール」というのは、時々の施政や立法から、国民の諸権利(人権)を常に擁護する側面を持つ憲法という存在の持つ性格にとって、社会選択論的に言っても(合理的選択の可能性において)…将来における【独裁者】の登場を防ぐ上で重要にも為りうる「ルール」ですから、これを実質的に議席数反映において無効化する「小選挙区制度」というのは、憲法の改正に課せられた「3分の2ルール」を形骸化させる可能性を持つ、放置したままでは非常に危険にも為りうる選挙制度であるという事を、押さえておく必要があると思われます。
この選挙制度改革案というのが、国民の誰もが等しく享受できる「人権」の擁護という、国民的にもミニマム的に合意が可能な「目的」を持てる可能性が、この憲法改正に関する論点から生じているとも言えます。
まだ選挙制度全体を論じるには、欠けた観点もあるかもしれませんが、私なりに考えた多様な観点から、繰り返しになりますが、私は
【都道府県単位での比例代表制】を、我が日本共産党だけでなく、広く一般にも議論に付して貰いたいと思い、今回の記事を書きました。
御意見、御批判等、頂けましたら幸いです。
※追記:
尚、国民の政治参加を妨げる選挙における「供託金」の問題ですが、日本の供託金は、イギリスの33倍、カナダの43倍、韓国の2倍、オーストラリアの60倍、シンガポールの4倍だそうです。
(※参考:
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20120121/1327139005)
これ(供託金の没収制度)については、神戸大・上脇博之教授による議論として、供託金という制度が「違憲」だと言う見解もあります。
(※参考:
http://homepage3.nifty.com/kenpofaq/jinken/5-6Q4.htm)
国民の政治参加を妨げる供託金は、現状では「比例代表制度」にも有り、これには(減額や廃止を含め)更に一考が必要でしょう。
また、よく「身を削る改革」と言いますが、政治家が身を削るとは、定数の削減ではなく(既に日本の人口当たりの国会議員数は先進国中では米国に次いで少ない)、例えば…日本の政党助成金は、ドイツの倍、フランスの3倍、イギリスの66倍という状況にこそ、手を付ける事でしょう。
(※参考:
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20120119/1326984883)

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