【0】前提・序文
現在の日本では、普遍的な人権の確立と擁護を行うという任務を持つ【左翼】と呼べる勢力が、著しく衰退しており国会でも極少数を占めるだけという状況にあります。
一方で、国民の「政治」に対する絶望感やら閉塞感は、極めて顕著に大きくなっており、その状況を受けて、大阪市の橋下氏の様な(所得税の累進課税制度を廃止しようという様な政策を掲げる)極めて右派的な潮流に、マスコミだけでなく世論の注目も集まっていたりします。
これは、非正規雇用の増大などによる格差社会や、長期に渡る不況による庶民の困窮に対して、これまでの【政権】だけでなく、それに対して本来は普遍的な人権の確立と擁護を行う立場から具体的かつ現実的に【対案】を示して、現状の抜本的な革新(または革命)を掲げるべき立場にある【左翼】という存在が、もはや国民の多数からは信頼を得てはおらず、万年野党として無力であり続けて、掲げる政策も内容も変わらず空想的なモノに留まっていると、残念ながら多くの国民に見なされている(見放されている)事の、端的な現れであります。
こういった状況に対して、私の所属する日本共産党の党員同志の多くは、それを「反共マスコミ」といった他者のせいにしたり、自己の過去の延長線上での努力の不足だといった、現在の【党の在り方】を基本的に肯定をしたままにして、その状況を変えるには(残念ながら今迄の党中央の)指導してハッパをかける方向での努力をするべきと(ある意味では)積極的に考えるか、もしくは何処に問題が有るのかを明らかにしないままで自分には到底無理だとサボタージュするといった消極的に考えたり(場合によっては)党を離れたりする…といった、その2極の中間で明確な確信は持てないというのが、偽らざる現状では無いでしょうか?
しかし御存知の方も居るとは思いますが、経営学用語には「成功体験の復讐」という言葉があり、現在とは状況も力量も異なる過去(例えば1970年代)の様な躍進時期の経験などを、それらが異なっている現在にまで適用しようとし続けて、結果として(経営)破綻を招くという事が、現実的には往々にして有るのは、少しでも経営を知っている人であれば、常識に類する事であると思われます。
これと同じ事で、今の日本共産党に(客観的に)最も求められているのは、単なる過去の延長線上での努力では無く、現在とは状況も力量も異なる過去の党の在り方に拘る事無く、根本的に【日本共産党自身の自己変革】を模索して、現在という時代に応じて普遍的な人権の確立と擁護を行うという政党に相応しい、新たな党の組織原則やら運営やら政策の元となる理論(綱領やイデオロギー)を、具体化して実行するイノベーションを示す事で、党外の一般大衆から見られる【党の姿】を変える事だと(私は)考えます。
その前提に立ち、以下では、それでは日本共産党の何処を如何に自己変革をすれば、党に対する国民の見る目を変えて、国民から信頼を寄せられる党として再生し、現在の情勢から求められる日本左翼の再建の為に資する、日本共産党に成長できるのか?…について、自己改革の【私案】を提示してみたいと思います。
【1】党の体質・組織原則の自己改革…(規約に関して)
日本共産党の規約
http://www.jcp.or.jp/web_jcp/html/Kiyaku/index.html
…は、2000年に行われた第22回の党大会で一部改正されたものであり、その組織原則は、それ以前の規約から引き継がれたままの「民主集中制」を基本としています。(
第3条)
そこでは、「(五)意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない。」とありますが、偽らざる【実態】として現在の党を見た場合において、党内には如何程に意見の【多様性】が存在して、世間常識的に言う所の対立する意見どうしの【議論】が存在しているでしょうか?
今では少しは廃れましたが、地区党会議(大会)・県党会議(大会)・党大会に至るまで、発言の最初に「私は議案の××に賛成の立場から発言します」などという、世間的には非常識な前置きを置いてから発言したり、会議を通じて1本も【反対意見】という、何か新しいモノを産み出す普通の世間における【討論】においては必須とも言える発言が無いなどという事が珍しく無いどころか、私の知る限りでは【殆ど全て】の会議での常態でありました。
度し難いのは、この状態に対して、党内では「真理は一つだから」だとか「党員の間には基本的な立場の違いは無いのだから」とか言って、当然視したり問題だとは考えない意見が、まだまだ多い事です。(党の存亡すら問われる今の衰退状況にも関わらず!!)
どうしてこんな「ムラ社会」的であり、会社などでも内部の多様性を活かして活発に議論して成長している組織の会議では有り得ない…乏しい多様性が産まれているのでしょうか?
それは第一に、いわゆる党内で「50年問題」と言われる党史上での党分裂時代の反省(反動)から生じた条文である…
第三条 党は、党員の自発的な意思によって結ばれた自由な結社であり、民主集中制を組織の原則とする。その基本は、つぎのとおりである。
…(中略)…
(四)党内に派閥・分派はつくらない。
…という、生きた組織内で「多様性」を醸成して成長を担保するという良い意味でまで、全て一括りにして「派閥・分派」として、その存在を禁止して、この条文に反したとして異なる意見を持った人間を、実際には(五)項に反して組織的に排除(除名・除籍)してきたからであります。
それに口実を与えて来たのが、
第五条で「党員の権利と義務」として…
第(五)項(後半部)…党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない。
第(八)項…党の内部問題は、党内で解決する。
…の【恣意的】な解釈にあります。これは(残念な事に)地区レベルの組織末端や党外の党員の多い組織でまで波及して、党が「独善」であるとの悪評を産んでいます。
例えば、異なる意見というものは、党の掲げる未来社会像と言った問題について(数理マルクス派による「市場社会主義」や、アソシエーション派による協働社会)、社会保障制度の将来像といった問題につい て(ベーシックインカム派や否定派やその折中派)、それぞれ当然ですが有ってしかるべきなのですが、それらの意見が「派閥」や「分派」として組織的に鍛えられる事が無ければ、それらの意見は分散した個人の意見にしか留まってしまい、政策として【党全体】という組織において有効に多数派を形成できる機会は奪われ、常に党全体という【唯一の組織】しか党内に持たない組織では、組織トップの意見でしか党は変化できないという状態に陥るのは、理の当然(必然)であります。
また世間常識的には、少数意見が多数を獲得していこうとすれば、自分の意見を公表する事で、普段は顔を合わせる事も言葉を届けるすべも無い「多数」に対して、自分の意見に合理性(理)が有る事を訴えて、多数者になろうとするのは、至極当然な権利として広く認められるものであり、それが内部告発などとして現代社会では「組織」の誤りを正す唯一の手段ともなっているのですが、それさえも封じてしまいかねませんし、明白な「誤り」とまではいかなくても、現状を改善する「少数意見」の採用・不採用までも、組織のトップの胸三寸でしか通らなくなり、少数意見が自発的に多数意見に成長する【実質的機会】も、上記の党員の権利を縛る、上記の規約第五条の第(五)項と第(八)項により、無いも当然であり、これでは…党をよりよく改善して自己改革しようというインセンティブ(動機)が生じないのは、これまた理の当然(必然)であります。
また、現代の社会科学の最先端である、社会選択論によれば、少数意見(マイノリティー)が社会的な選択に自分達の立場を関与させる可能性は、御互いに様々な意見や立場が有る事を前提とした人間の集合の中で、任意の「提携」が成立して(協力ゲーム理論)、それが民主的な選挙において「勝利提携」に属する事が無くては、全く「合理的」には有り得ない事でもあります。(合理的に少数意見保持者にも政策参加が出来る社会的な条件)
また、躍進しているドイツ左翼党などが、党内の「多様性」を尊重する事で、国民に広く開かれた政党として、革命政党でありながら社会的に認知されている事なども、日本と比較して実際に考慮すべきです。
(政党で、未だネット検閲をしているのは中国共産党と北朝鮮労働党だけです)
ただ誤解しないで欲しいのは、私は同じ規約第五条の第(五)項の【前半部分】である…
「党の諸決定を自覚的に実行する。決定に同意できない場合は、自分の意見を保留することができる。その場合も、その決定を実行する。」
…については、これは組織が組織で有る限りは、会社であれ何処であれ、守られなくてはならない【団結の原則】だとは思いますし、これが無い組織は、その戦闘力を損ない、場合によっては瓦解するとは考えています。
また、こうした意味での「分派」やら「派閥」は、それこそ党の分裂やら壊滅にまで至り得ます。
だから、私の組織原則に対する【提案】は下記の様になります。
●現状の組織原則である民主集中制について
現行規約の…
【第三条】 党は、党員の自発的な意思によって結ばれた自由な結社であり、民主集中制を組織の原則とする。その基本は、つぎのとおりである。
…(四)党内に派閥・分派はつくらない。
第五条 党員の権利と義務は、つぎのとおりである。
…(五項の後半部)党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない。
…(八)党の内部問題は、党内で解決する。
【第十七条】 全党の行動の統一をはかるために、国際的・全国的な性質の問題については、個々の党組織と党員は、党の全国方針に反する意見を、勝手に発表することをしない。
…を、次の様に改正する事を提案します…
【第三条】 党は、党員の自発的な意思によって結ばれた自由な結社であり、民主的な意思決定と行動面における団結の維持を組織の原則とする。その基本は、つぎのとおりである。
…(四)党内にも、意見における派閥・分派の活動は認めるが、それで対外的な行動に於ける団結を乱す事は認めない。
第五条 党員の権利と義務は、つぎのとおりである。
…(五項の後半部)党の決定に反する意見であっても、個人的な意見として発表することは認められるが、それが党の決定にならない限りは、その意見を決定に優先しない。
…(八)党の内部問題の内で、組織人員・個人情報に関するものは、党内で解決するが、第三条(四)項で認められた派閥・分派の対外的な意見発表の機会は、これを妨げずに、必要であれば正式な機関紙・誌上でも発表の機会を与える。
【第十七条】 全党の行動の統一をはかるために、国際的・全国的な性質の問題については、個々の党組織と党員は、党の全国方針を非建設的に攻撃する意見を、勝手に発表することをしない。
●過去の民主集中制違反による処分者への対応
また、追加として、党員の除名・除籍や、その復党への条件に関して、過去にあった【恣意的】な乱用を改め復権を認める意味でも、彼等の復党による党の拡大・活性化の為に、下記の現行条文を改める。尚、現在では自発的な離党であっても、扱いとしては党規約への同意を失ったものとして「除籍」扱いされている事情も下記の案では考慮している。
また、除名についても「一人分派」などの実態の無い状況下で(過去に党機関において)処分が行われた例もある事から、下記の通りに改める。
現行規約の…
第十一条 党組織は、第四条に定める党員の資格を明白に失った党員、あるいはいちじるしく反社会的な行為によって、党への信頼をそこなった党員は、慎重に調査、審査のうえ、除籍することができる。除籍にあたっては、本人と協議する。党組織の努力にもかかわらず協議が不可能な場合は、おこなわなくてもよい。除籍は、一級上の指導機関の承認をうける。
除籍された人が再入党を希望するときは、支部・地区委員会で審議し、都道府県委員会が決定する。
第五十四条 除名は、党の最高の処分であり、もっとも慎重におこなわなくてはならない。党員の除名を決定し、または承認する場合には、関係資料を公平に調査し、本人の訴えをききとらなくてはならない。
除名された人の再入党は、中央委員会が決定する。
…を、次の様に改正する事を提案します…
第十一条 党組織は、第四条に定める党員の資格を明白に失った党員、あるいはいちじるしく反社会的な行為によって、党への信頼をそこなった党員は、慎重に調査、審査のうえ、除籍することができる。除籍にあたっては、本人と協議する。党組織の努力にもかかわらず協議が不可能な場合は、おこなわなくてもよい。除籍は、一級上の指導機関の承認をうける。
除籍された人が再入党を希望するときは、いちじるしい反社会的行動で除籍になった者を除き、基本的には支部で審議し承認して決定でき、それを地区委員会が事情を確認をする。
いちじるしい反社会的行動で除籍された者は、地区委員会で審議し承認して決定でき、都道府県委員会が事情を確認する。
第五十四条 除名は、党の最高の処分であり、もっとも慎重におこなわなくてはならない。党員の除名を決定し、または承認する場合には、関係資料を公平に調査し、本人の訴えをききとらなくてはならない。
除名された人の再入党は、支部が処分を決定した機関に事情を聞いた上で、除名した事情に道理が無い事が確認されれば支部において再入党の決定をし、上級機関はそれを確認する。
※追記:これには、過去の意見の違いによる離党・被処分者がを産み出したのが、大部分が「党機関」である事を考慮し、復党を「党機関」に委ねるのではなく、本当に「支部が主役」を貫くのであれば、支部員による理性の発揮と真剣な議論にこそ、復党の決定を委ねるべきだという意味もあります。
●党首の選抜に関して
もう一つ、規約上の重要問題は、現在の党員の権利(第五条)には、第3項で「(三) 党内で選挙し、選挙される権利がある。」とはされていますが、全党の先頭に立ち、場合によっては全責任を負い、対外的な代表でもある所の、【党首】を選ぶ権利は、実質的には(直接には)与えられていません。
現状は…
@各党員が所属する支部の支部総会で地区党会議の代議員を選び、
A地区党会議の代議員によって都道府県党会議の代議員を選び、
B都道府県党会議の代議員が(全国)党大会の代議員を選び、
C党大会の代議員が中央委員を選び、
D中央委員会が互選によって党首(中央委員会委員長)他の党役員を決める
…という、
5段階による間接選挙によって【実質的には少数意見は全て篩い落とされ】た後に、現状の党体制に肯定的な人間しか上級には上がれないシステムが出来上がっています。
これを全て無くす事は実質上は不可能であっても、せめて選挙に大きく敗退したなどの場合における【
責任の所在をトップから】示さない限りは、文句を言われるぐらいなら何もしない方がマシといった、党内に蔓延るモラル・ハザード(責任の崩壊・無責任体制)は改まりません。
よって、せめて【党首】だけでも、間接民主主義の弊害(モラル・ハザード)を除去する為に、全党員が参加できる【党首選挙】を実施するのが、近代政党を自称したいのであれば、当然の事であると(私は)考えます。
これには下記の条文を改定する事が必要です。
第二十三条 中央委員会は、中央委員会幹部会委員と幹部会委員長、幹部会副委員長若干名、書記局長を選出する。また、中央委員会議長を選出することができる。
中央委員会は必要が生じた場合、准中央委員のなかから中央委員を補うことができる。また、やむをえない理由で任務をつづけられない委員・准委員は、本人の同意をえて、中央委員会の三分の二以上の多数決で解任することができる。その場合、つぎの党大会に報告し承認をうける。
…これを、下記の様に改正する事を提案します…
第二十三条 中央委員会は、中央委員会幹部会委員を選抜できるが、その幹部会の委員長の選出に当たっては、全党員が選挙権・被選挙権を持つ有権者とする、選挙を行わなくてはいけない。
この選挙では、全党員数の1%以上の署名(所属と実名が判明すれば電子署名も可とする)か、地区以上の機関の推薦があれば、党員であれば誰でも被選挙権を有する事が出来て、全党員の3分の2以上の投票により選挙が有効になり、得票数の最も多い者が幹部会委員長として選出される。
但し、有効投票数の内で最も得票数の多い者でも、総投票数の3分の1を超えない場合は、候補者を最初の投票の上位2名に絞って、再選挙を行う。
選ばれた中央委員会幹部会委員長は、中央委員幹部会から書記局長を選任する。また、中央委員会議長を選任することもできる。
中央委員会は必要が生じた場合、准中央委員のなかから中央委員を補うことができる。また、やむをえない理由で任務をつづけられない委員・准委員は、本人の同意をえて、中央委員会の三分の二以上の多数決で解任することができる。その場合、つぎの党大会に報告し承認をうける。
…こうした規約の改正の私案では、もちろん日常的な党活動の全てを規定する事は出来ませんが、こういう改革が何故?必要とされるのかという【本題】からすれば、こうした自己改革による国民に開かれた「議論」の姿勢を国民に見せる事を通じて、日本共産党への国民の信頼を勝ち取る事にあるのですから、いちいち規約には書かれない日常の日本共産党員による社会的な活動自体が、そこが党外の民主的組織や大衆的団体であれ、これまで一部の党員に残念ながら見られた様な…党外の人達から…独善的な「引き回し」と呼ばれる様な事は、こうした規約の改善を通じて得られた積極的な党内「議論」によって、根絶されねばならない事は、自明であって言うまでも無い事です。
また、こうした規約の改正の必要性を実感するにも、それを活かすのにも、党員が自ら大衆の中に踏み込んで、国会議員も地方議員も議員を先頭にしつつも、積極的かつ謙虚に大衆の声を聞く事も、忘れてはならない意識変革でしょう。
【2】党の綱領・路線における自己改革…(イデオロギーに関して)
日本共産党綱領
http://www.jcp.or.jp/web_jcp/html/Koryo/
この党綱領は、2004年の第23回党大会で改定されたものですが、第一章の「戦前の日本社会と日本共産党」と、第二章の「現在の日本社会の特質」といった部分は、まぁ…読む人によっては自分達こそ正しいという「独善的」だと感じる事はあるかもしれませんが、これも結党の自由の範囲だと読み過ごせても、恐らく多くの読者が【最初に強い違和感】を感じると思われるのは、次の第三章の「世界情勢――二〇世紀から二一世紀へ」の中での、第(八)節の過去と現在に「社会主義」を自称した国々への評価の最後に、下記の様に述べている事でしょう…
> 今日、重要なことは、資本主義から離脱したいくつかの国ぐにで、政治上・経済上の未解決の問題を残しながらも、「市場経済を通じて社会主義へ」という取り組みなど、社会主義をめざす新しい探究が開始され、人口が一三億を超える大きな地域での発展として、二一世紀の世界史の重要な流れの一つとなろうとしていることである。
これは明らかに中華人民共和国(大陸中国)をも含めた表現である事は、表現された人口から見て明らかですが、恐らく常識の有る多くの日本国民は、軍事的な拡大で近隣諸国に覇権主義を露骨に強め、過去にチベットを侵略し、現在も国内での言論や結社の自由も無い国に、あれを自称とは言え【社会主義を目指す国】に数えるのか?…と、確実に引かれてしまう文言でしょう。
無論ですが、この(八)節の次に続く(九)節からで記述されている様に、ソ連・東欧の崩壊がイコール資本主義の正しさの証明では無い事は、同じく多数の良識ある人にとって、グローバル化の強引な進行に伴う国民経済の破綻やら、無軌道な経済拡大が齎す地球環境自体の危機、資本主義の過度に投機的な性格に由来する金融不安やら破綻、新自由主義に代表される福祉や人権の切り捨てと格差の拡大と固定化など、むしろ最も高度化した先進資本主義国である日本の様な国でこそ、この資本主義批判としての「市場経済を通じて社会主義へ」は語られるべきであり、その担い手として中国の様な国の存在に頼るというのは、普遍的な【人権】の拡大や延長線上にこそ、社会主義という未来を据える見方によれば、あまりに不見識との誹りは免れないでしょう。
繰り返しますが、上記の様な資本主義の行き詰まり感と閉塞感を打開すべきなのは、何処よりも高度化した資本主義経済を持つ日本やドイツや米国の様な国であり、そこでこそ…現代こそ「社会主義革命」に対する【青写真】の具体的な学術的探究を深めるべき時だという事であるという事であります。
それは拙ブログの過去の下記記事…
文明批判としての資本主義批判の現代における有効性について
http://blue.ap.teacup.com/nozomi/126.html
…で既に触れた事であるので、詳細は上記リンク先に委ねますが、こういう世界情勢=日本の様な国でこそ「社会主義」が探求されるべき事を考えると、現在の綱領の革命路線の第一段階を述べた、第四章の「民主主義革命と民主連合政府」の先頭である下記で述べられた叙述…
> (一一)現在、日本社会が必要としている変革は、社会主義革命ではなく、異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破――日本の真の独立の確保と政治・経済・社会の民主主義的な改革の実現を内容とする民主主義革命である。それらは、資本主義の枠内で可能な民主的改革であるが、日本の独占資本主義と対米従属の体制を代表する勢力から、日本国民の利益を代表する勢力の手に国の権力を移すことによってこそ、その本格的な実現に進むことができる。この民主的改革を達成することは、当面する国民的な苦難を解決し、国民大多数の根本的な利益にこたえる独立・民主・平和の日本に道を開くものである。
…の先頭から、既に実現性と切実さにおいて、日本共産党が【共産党】である事の存在理由でも有る「社会主義」を、もし単に先送りにするという意味でだけ捉えて、具体的な知的な探究すらしないのであれば、それは明白に怠慢であり日和見主義になってしまわないか?…という点において、率直な疑問が生じます。
この日本共産党独自の二段階革命論ですが、私はそれを【全否定】しているのでは無く、単なる論理的?(弁証法的?)な演繹から歴史の順序が決められるという事が、つまり現実と遊離した【必然】に為るという事は有り得ないという単純な理由から、それは情勢に応じて【より柔軟】な戦略を取り得る様に(社会主義こそ求められる情勢も考慮に入れて)、この第四章「民主主義革命と民主連合政府」と、第五章「社会主義・共産主義の社会をめざして」の記述は、より機械的でない柔軟な表現に改めたら良いと思うだけです。
更に、歴史や政策を考えるに当たっては、科学性、すなわち極めて合理的=具体的な形式論理に適う思考方法が要求されるという意味で、党規約の第二条の末尾で「党は、科学的社会主義を理論的な基礎とする。」と述べている以上は、安易に【科学】では明確に無い事が明らかな【弁証法】などに思考を委ねずに、少なくとも第五章の第16節の(2)に有る、下記の記述…
> 市場経済を通じて社会主義に進むことは、日本の条件にかなった社会主義の法則的な発展方向である。社会主義的改革の推進にあたっては、計画性と市場経済とを結合させた弾力的で効率的な経済運営、農漁業・中小商工業など私的な発意の尊重などの努力と探究が重要である。国民の消費生活を統制したり画一化したりするいわゆる「統制経済」は、社会主義・共産主義の日本の経済生活では全面的に否定される。
…に関して如何なる可能性が有るのか?(例えば数理的マルクス=AM派のジョン・E・ローマー著の「これからの社会主義」の水準で)示していく義務があると思われます。
そして「対話」などで、その必要が生じれば、躊躇う事無く「社会主義」の可能性についても党員自身が自分の言葉で(弁証法による抽象に逃げるのではなく)語れる様になる事、これがイデオロギー的な面で必要になる党の自己変革だと思われます。
こうしたイデオロギー面での「脱・弁証法」化を訴えた拙ブログの過去の記事には…
【政治理論】からの弁証法の放逐と、形式論理を尽くした対話法の復権を!
http://blue.ap.teacup.com/nozomi/116.html
…などが有りますので、御参照下さい。
こうした面で、全党的に形式論理(=科学)を学ぶ努力をしなければ、日常的な場面で、卑しくも革命政党の一員として革命を「対話」で語れないという情けない状態…大阪の橋下氏が「維新」などと唱え、逆に日本共産党が既存政党として一括りされて「守旧派」扱いされている状況は、打開できないと私は考えます。
【3】結論・最後に
私達・日本共産党員は、個人としては微力であれ、団結して少しでも社会をより良く変えたいという「初心」を、恐らくは誰もが持って入党した筈です。
そして「社会を変革」するには、まず自分自身…すなわち党全体が「自己変革」できる存在である事を示さないと、誰も日本共産党に「社会を変革」できるなどとは思わないでしょう。
情勢が逼迫してきた今だからこそ、我々はまず自分達の組織から、見直して成長できる事を示していく必要が有るのではないでしょうか?
以上が、現状の先細り傾向を脱して、日本左翼の再建の為に資する魅力ある存在に日本共産党が脱皮する為の、今回の個人的な自己改革(案)です。
もしも、もっと、より良い方向があるのであれば、御批判・御意見は歓迎します。
※追記:尚、本【提言】は、既に日本共産党中央委員会にも、メールにて送信済みです。
※追記2:規約【第十七条】について追記(5/18)

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