現在、政治の世界では、福祉社会の維持という名目で、(1億を超える高所得者である程)逆進性の明らかな現状の
所得税の分離課税(金融取引による収入には低率の固定税率で一般の所得と分離される事)を放置したままで、同じく低所得者程に収入に対する負担が更に重くなる逆進性を政府ですら自分で認めざるを得ない消費税をUPさせるなど、一体誰の為の【政治】なのか解らなくなるような、離散集合の【茶番】ばかりが、自民・公明・民主などの諸党によって進められています。
※参考:本ブログ記事…「仮にも「税と社会保障の一体改革」と言うなら留意するべき点」
http://blue.ap.teacup.com/nozomi/127.html
※参考:古寺多見さんのブログ記事…「 新自由主義勢力同士の内紛より、民自公の「暴走」を止めよ」
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1259.html
一方で「障がい者支援法」などに見られる様に本当に福祉や再分配を必要としている人には「自立」を名目にして、サービス利用に自己負担を求めるだけでなく、資本主義経済の下で一旦ドロップアウトすると再び這い上がる【実質的】チャンスや、それまでの生活保障である最低限のセーフティーネットである生活保護ですら、予算制約から役場での窓口における厳しい査定を設ける事で、実質的には生活保護水準以下の生活しか送れない人が放置されている現状があり、先進国でありながら餓死や孤独死が珍しいニュースでは無くなっています。
本来、こういう状況においては、人間であれば誰でも認められる普遍的な人権を旗印にする存在である【左翼】こそが、他方の人権の「普遍的な価値」より勝る「個別の価値(例えば国家や一部の個人しか実質的に持っていない特権)」を掲げる【右翼】を凌駕してしかるべきにも関わらず、現実に国会の議席などを見ても、いわゆる「新自由主義」と呼ばれる経済における(資産等を持っている人しか実質的に無い)括弧付の「自由」を極大化させようという勢力が、先程に挙げた自民・公明・民主ばかりで無く、マスコミの寵児として祭り上げられた「大阪維新の会」の橋下氏の勢力も(これまでの【実績】を見る限り)そうですし、また「みんなの党」も基本路線は(福祉まで含めて)国家を最小化(実際社会には一部の特権でしか無い「自由」の最大化)をしようとしているという意味で、いまや政治の世界は「新自由主義」一色に染められた感があります。
この背景には、人間であれば誰でも認められる普遍的な人権を旗印にする存在である【左翼】が、残念な事ですが…現在の国民の多数からは「信頼」を得ていないという状況がある事は確かでしょう。この事は既存の【左翼】自身が、単なる理想論しか語らない無力・無策・無責任な存在ではなく、自らも「自己変革」できる存在である事を、実際の行動や政策で充分に示していない事の証拠ではありますが、この事に関して…特に私が所属している日本共産党…については、前々回の下記記事でも述べた通りです。
※参考:本ブログ記事…「日本左翼の再建の為の、日本共産党の自己改革(案)」
http://blue.ap.teacup.com/nozomi/130.html
しかし、上記の記事だけでは、私は充分では無いと考える様になりました。
というのは、実際に【左翼】を(恐らく初心としては)志していた筈の人間(または集団)が、具体的な現実の「社会運動」の中で(を通じて)信頼を勝ち取ってい無いだけでなく、少なくない人士が草の根を張るべき民衆から【浮き上げって】おり、場合によっては「実践」の名の下に、良識ある人から忌避される(一般の社会通念的にも決して褒められない)行動を取る事で、ますます【左翼】の大衆的な基盤を自分から切り崩しているという事実があります。
そうした人士は、実は彼自身が「左翼」というのが単なる自称でしか無いか、さもなくば社会運動の自殺行為でしか無い事を、平気で(何の自覚も無く)行われている事例も、残念ながら自称「民主」経営やら、一部の「民商」等から、その関係者の声として、本当に残念ながら【少なからず】に聞こえて来ます。
名古屋の「
ゆたか福祉会」やら、
呉の一部の「民商」幹部等、運動内での真っ当な主張や担い手自身が抑圧され、心身を壊されて、離れていったりしています。
また、大衆団体の中では、党の決定よりも、大衆の生きた声の方が大事である事は自明にも関わらず、それを転倒させて組織防衛や陣地確保が至上命題になり、方針を大衆の声から決めるのでは無く、党の決定から演繹しただけの御手軽な方針にするという、いわゆる「組織の党派的な引き回し」という事例も古くから指摘されており、それに反発した大衆からは「既存の運動」から離脱しようという動きもあります。
これは何も先日ニュースになった…全学連からの東大CZ自治会(旧・教養部自治会)だけの問題では無いのです。
原水禁運動でも、(その歴史を知っている人には説明は不要ですが)運動の幅を自分から狭めて来た歴史もありますし、いわゆる「民主」運動内で、運動そのものの自律性を損なう程に構成員をオルグ対象者としか見ない様な【過剰】な組織内での政治組織活動等に至るまで、こうした問題の【根は深い】と言わざるを得ません。
こうした運動面における【腐敗・退廃】は無自覚に行われている故に、これを克服するには、単に(彼らの)所属政党の「規約・綱領」を見直す事だけでは、不十分に過ぎる事は明確です。
地道であれ、左翼の失地回復の為の(大衆からの)信頼関係の再構築に向けて必要なのは、まず自分達が草の根を張るべき民衆から【浮き上げって】いる事を自覚して、【内部】での単なる馴れ合いに決別して、積極的に自己批判・相互批判する習慣を身に付ける事から始めて、【左翼】自身が草の根を張っていくべき民衆・大衆を単に【外部】として考える思考方法を改めて、積極的に彼らが集まる場所(地域での町内会やら自治会や商工会など)にも飛び込み・馴染み・信頼される存在に、自分を「成長」させなければなりません。
誰であれ、程度の差こそあっても「理性」というものがあるならば、生きている限りは「人間」には何歳になっても、周囲から「学び」自己を省みて「成長」させる事は、本質的には可能な筈です。
私自身も、あと1か月で45才になり、もう決して「若い」とまでは言えませんが、周囲から新たな事を「学び」自己を常に「成長」させる事では、決して「老い」ているとは思いません。
まぁ、我が党の場合…残念ながら44歳の私ですら…まだ若い方なのですが、問題は先達である年配者自身が、こうした「学び」や「成長」には無関心で従来の馴れ合い的な慣行に浸って「自己成長」ではなく「自己保身」に汲々としている有様では、せっかく入ってくれた若い層も育てていく事が出来ずに、逆に組織に幻滅して離れていくか…(やる気を)潰されてしまうという事であり、そうした例は私の周囲にも枚挙に暇がありません。
本ブログを見て頂いている方の中には、私などより遥かに年長で人生経験も積まれた方も居るでしょうから、そうした方に…こんな「説教」じみた事を言うのは面はゆいのですが、若い層にまで浸透し草の根を張った今後の【左翼】を構築する為には、誰かが…こうした事を言わなければならないという「現状」があると、あえて述べてみました。
残念ながら…かつては我が党にも「空白克服」という事で、地域に飛び込み、地域に溶け込んで、地域の信頼を勝ち取り、田舎の町村でまで議会の議席を得たチャレンジ精神が、加齢と伴に失われつつある様に思います。それでは自分自身の子供達からすら尊敬を得られず、後継者にもなってくれません。
大切な事は、哲学の祖であるソクラテスが既に結論を出しています。それは「対話」です。
人間は「対話」を通じて相互の認識を発展させる事が出来る生き物です。
左翼組織の「内部」と「外部」という対立軸(ムラ社会化)も、現在の社会では未だに綺麗事(場合によっては正論でも有り得る事)と現実の困難との対立軸(これ自体が地域でも職場でも浮き上がる原因にもなり得ますが)にしても、それらを克服するには、積極的な「対話」を通じて自己を「成長」させる事しか道は無く、それ以外の「近道」などありはしないのです。
左翼の失地回復の為の、自分も含まれる民衆・大衆からの信頼関係の構築に向けて、必要な事など…「人の言う事をキチンと聞き」「それを受けて学び自分の頭で考えて打開策を模索し」「それを今度は自分の言葉で実直に語る」という…【双方向型の対話】の基本が全てであり、それは一方的に自己の正当性を相手に何処かから借りてきた言葉で捲し立てる事とは、まったく違うのです。
(これは時に「対話」が激烈な相互批判の言葉を使う事とも別に矛盾しません)
そんな、分かり切った事を、あえて言わねばならぬ程に、現在の【左翼】全体の停滞は深刻です。
…であるならば、私が【
前々回の本ブログ記事】ぐらいの内容など、やって当然の前提に過ぎず、(誰とは言いませんが)これに目くじらを立てる事などの愚かさは自明でしょう。
今の「新自由主義」という、持てる階級の特権擁護の【右派】が全盛の時代を、人間であれば誰でも認められる普遍的な人権を旗印にする存在である【左翼】こそが、それを根本的に批判して乗り越える事が出来るのですから、人類全体が「資本主義」という限界(桎梏)の中で悶え苦しんでいる時だからこそ、自分自身を奮起させて、限界を乗り越えていこうではありませんか。
※参考:本ブログ記事…「文明批判としての資本主義批判の現代における有効性について」
http://blue.ap.teacup.com/nozomi/126.html
(現実と)闘ってこそ人間です。生きる為には誰もが(一部を除き)闘っています。しかし、その中でも、他者の人権も自分の人権と同等に考える連帯的志向こそが【左翼】の出発点です。この(資本主義という)限界を乗り越える為には団結こそ必要なのであれば、古臭い言葉で恐縮ですが、相互批判はしつつも団結して闘おうではありませんか。

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