日中関係がギクシャクしています。
発端は、日本政府による「尖閣諸島」の国有化と、それに反発した中国政府と中国国内での反日デモだとされています。
これで日中間の友好関係を困難視する見方が増えていますが、あえて今だからこそ私は日中の友好は可能だという意見を提示したいと思います。
日中の両政府の間には、確かに尖閣諸島の帰属問題が有りますが、たかが無人島(その海底資源も最初の調査が行われて中国側が領有権を主張し始めた1960年代当時に比べれば、最近の調査では大した事は無いと解って来ている)の問題などを、ことさらに大きな問題の様に考えるのは、近代になって成立した「国民国家」の枠組みでしか物事を考えていない証です。
何も「国民国家」は未来永劫の絶対的な枠組みではありませんし、仮に当分の間は人間が「国民国家」の枠組みに囲われて生きるしか無かった所で、その考え方まで「国民国家」に合わせて思考せねばならないという事では無く、もっと冷静に考える事は可能な筈です。
この「国民国家」という枠組みを、冷静に(批判的に)考える事が出来るのであれば、たかが(両国【政府】の主張とは別に)無人島の帰属問題など、人間の日々の営みに比べれば、非常に下らない問題に過ぎず、解決の方法など幾らでもあると思えるでしょう。
それに比べて、日中の政府間で起きた問題(たかが無人島の帰属問題)などで、如何にも明日にでも日中両国間で軍事衝突まで起きるかの様に騒ぎ立てる週刊誌等の記事には、私は軽蔑を感じます。
では、冷静に(批判的に)この「国民国家」の枠組みを見るというのは、具体的には如何なる事なのでしょうか?
それには、まずは既存の両国政府に囲われた両国の国民が、相手国だけでなく自国の政府を批判的に相対化する事でしょう。
そりゃ私も、今の中国政府(中国共産党の一党独裁政権)には批判は山ほどあります。
例えば、チベットを戦後になってから侵略・併合し、今も独立や自由を求める彼らに弾圧や抑圧を加えている事やら、ウイグル人の求める自由や平等に暴力的な弾圧を加えている事、自治を守る台湾に対して軍事的な圧力を加えている事、国内の少数民族に同化政策を行っている事、そして何より共産党の一党独裁を守る為に、国民の思想信条の自由や政治行動の自由や平等な政治参加の機会を奪い強権政治を布いている事などがあります。それを維持する為に行って来た「愛国教育」の為に「愛国無罪」などと言ってデモが過激化している現状も、他に現状への不満の捌け口が無い事の現れでしょう。
また軍事的に拡張戦略を取っており、近隣諸国と(例えば南沙諸島などで)軋轢を産んでいます。(例:中越紛争)
そういう事には全く【道理】が無いという意味では、私は決して、今の中国政府(中国共産党)を肯定する事は出来ず、これからも【批判】をせざるを得ません。
しかし、そういった中国政府に比べれば、日本政府がマシなどと言って日本人が現状の日本を肯定しているだけだとすれば、それは決して人民同士の友好への道には繋がらず、単に差別や偏見を助長するだけになるでしょう。
日本とて、偏狭なナショナリズムの浸食を免れていませんし、自慢できる程の人権状況にある訳では、決してありません。国際的に外部から他国の人権状況を冷静に「批判」は出来ても、それで他国(の人々=庶民・人民)を見下す根拠には、決してならないのです。
これは御互いに(自分達に課せられた人権に対する責務を)自覚すべき事だと言う事です。
大事なのは、相互の持つ「国民国家」の枠組みを固定視したり絶対視したりせず、どちらの政府(国家)に対してであれ、人民から見て【道理】が無い事に対しては、仮借の無い【批判】を加えると同時に、そこに【道理】があれば【批判】を受けて、自分達が責任を持つ自国の国家を一歩でも変革すべく努力を尽くす事でしょう。
そういった各国での人民の努力は、狭い「国民国家」の枠組みに囚われない限りは、人類である限りは普遍的なで平等な「人権」を目指すものとならざるを得ず、そうである限りは本質的に…普遍的であるという前提からも…必ずや【連帯可能】な性格を持ちます。
こうした【国際連帯】の立場から、既存の「国民国家」の政府の対峙する言い分を相対化していく事で、これまでの「国民国家」の持つ性質を、囲い込んだ「国民」を従える(支配する)道具から、人民の【国際連帯】に資する政策を選択をする様に、一歩でも二歩でも変革していかねばなりません。
それが、ひいては…住民の意志を踏みにじる侵略や、住民も居ない無人島の帰属などという問題などでの、紛争や戦争という「国民国家」が繰り返して来た愚行から、人民自身を解放する事になるでしょう。
私は、こういった観点から、日中の人民どうしの友好は可能であるし、そしてそれはそれを疎外する既存の「国民国家」への批判的な観点を、各国の人民が、各国(含:自国)の政府に持つ事によって、その「国民国家」の持つ矛盾を解消して変化を成し遂げる事によってのみ、可能になるであろう事を、私は主張したいと思います。
P.S.
領土問題など、住民が居る土地なら住民自治を原則とし、住民が居ない土地だけならば大国側が常に小国側に譲歩するという原則を(仮に)作り、それを国際ルールでも…もし出来れば、全く世界から無くす事すら可能な、本当に下らない問題でしか無い事だけ、付言します。
領土問題は、人類が「国民国家」という枠の中に囲い込まれている限りは、無くなる事は無いでしょうが、そんな問題に陶酔して自己を「国家」と同一化させる事ほどに愚かな事は無く、そういう【病】が戦争の源泉だと考えます。何かの集団(的な意識)に、個人が自己を同一化させる事ぐらいに、危険で愚かな事はありません。
(これは「国家」に限らず、何処かの「党」でも変わりは無い事ですが)
ただ「国民国家」が有る限りは、領土問題が無くなる事が無い問題ならば、問題の根本が無くなるまで、いつまでも(平和的に)話し合っていれば良いだけだし、それに陶酔する暇があれば、もっと考えなければならない「人権問題」や世の中の「矛盾」や政治問題等は、この世の中には…まだまだ足元から見て山積みになっている事だけは確かです。
そうした、肝心の内政における大事な問題をスルーして、自民党の総裁に返り咲いた安倍氏の様に、領土問題を通じて国家主義的な傾向に傾いた世論に、火に油を注ぐ様に煽りたてて、国民の苦難をヨソにして…「選挙の争点は改憲だ」…などと言う政治屋(達)を、今度こそ叩き落とさねばなりません。
彼らは、一種のカルトであり、日本を国際的に孤立させる事など意に介しません。
カルトという意味では、我が党も人の事は言えないという意見もあるでしょうが、「村山談話」や「河野談話」を否定しようとする…その危険性においては、現状(の勢力図)では比較にもなりません。
そういう意味で、古寺多見さんの…
きまぐれな日々 安倍晋三は5年前と変わらない。しかし世間が右翼化した
…などの意見も参考になります。
※10/3追記:
本ブログの「政治とか経済」カテゴリーの記事(現在42エントリー)を、読んで頂ければ解りますが、私は「国外」や「相手国」の人権問題だからと言って、それを私は軽視した事は無く、往々にして=時節の必要に応じて【批判】もしてきました。
しかし、私は、両者(国外・国内)の諸問題に対して、片方を置いておいたまま、まずこちらから…といった順位を付ける事には反対なだけです。
ただ、日本人としての自己に【責任】のある事に、専ら触れる機会が多くなるという事は、私も認めますが。

2