伊賀篤のブログ

(ペンネーム=勉強不足のJCP党員、便所の住人)開設:2004/8/20〜

 
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憲法9条は【狂気】の中の【正気】

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投稿者:一時しのぎ
リンク先キンピーブログ「2013年01月08日05:00 筆坂秀世タン、日本共産党は憲法改正を提起せよと主張」への投稿ですが、こちらにも転載いたします。なお、キンピーブログは、広島オフ会実況中継のため、込み合っているようですので、投稿される場合は、注意してください。
---
127. 一時しのぎ@伊賀篤様 2013年01月13日 16:36
118番コメントを拝読いたしました。おっしゃる旨について、承りました。あらためてお伺いしますが、伊賀さんはご自身について、以下の論拠からすれば、善人でしょうか、あるいは悪人でしょうか、いかに思われますでしょうか。
---
小田晋監修『イラストでわかる狂気と犯罪の深層心理』
P92「宗教は殺人を否定するか、肯定するか」より、
親鸞(法然もらしいが)がいってた「悪人正機説」というのを、精神分析的に解釈すれば、どういう意味かということの一節。

(前略)つまり「悪人」とは、ユングの言うシャドー(心の中の「悪」の部分)を自覚している人間のことで、「善人」とは、その自覚がまるでない人間を指しているのだ。
自分は戒律を守っているからと、何の疑念も抱かず他者を責めたパリサイ人のように、自分を全く「善人」と思い込んでいる人間は、いざ「悪」を成さねばならない状況に追い込まれたとき、色々な理屈を並べて合理化し、自分は正しいことをしていると思い込んで、歯止め無く行動する危険性があるのだ(後略)。

http://kinpy.livedoor.biz/archives/52047364.html
投稿者:伊賀篤
●追記をしました。(本記事の末尾部分を参照)

これは、下記ブログでの、コメント欄での議論を受けてのものです。

日本共産党・民青同盟悪魔の辞典+ キンピー問題笑える査問録音公開中 : 筆坂秀世タン、日本共産党は憲法改正を提起せよと主張
http://kinpy.livedoor.biz/archives/52047364.html

この【加憲案】を、最も採用しそうな各党に、意見書として送りました。
投稿者:伊賀篤
●一時しのぎ様、こんにちは。

> これを読むに、伊賀さんは西欧近代に対して真正面から向かわず、単に「嫌いで不都合なこと」を頬かむりして、「価値観の相違に過ぎない」とか「話せば分かる」とかいうんでしょうね

私の本記事では、現代の世界では今なお、緊急避難としての【暴力】は容認されざるを得ない場合についても触れているのですが、どこを読めば上記の様なコメントになるのか、一体全体さっぱりわからないのですが…

私が、単に「嫌いで不都合なこと」に頬かむりしていないのは、本文の文章を読んで頂ければ解る事です。
あくまで現在の世界の現実を出発点にして、政治が目指して努力する方向を書いているのであって、もしもそれが…

> 「最大の理由は、何を言っても実現するわけがないという政治の現実がある。両党は、その責任は自分たちにはない、と思っているだろう。自分たちは正しいことを言っていると。でもそこがこの政党の一番の弱点であり、責めを負うべき点なのだ」

…という言葉に、この問題(憲法9条)が永久不変に該当するのだというならば、その論証が必要ですが、貴兄はそれをしていません。

むしろ私の示した【緊急避難】という考え方は、法概念としては、客観的に止むを得ない【避難】とみなされ得る状況が有る場合に限って脱法行為・状況を免訴するというものですから、貴兄の引用した文章の最後にある…

> 暴力をどう正当化し、あるいは違法化し、そして制御するのか。こうした問いへの取り組み

…の一環とも、なり得るものだと考えます。
(その状態が相当の長期に渡っても)

無論、その【緊急】性の判断の主体は、国民多数によって行われるもので、現在の国際環境における「自衛隊」の存在は、現実的にチャンと国民が選んだ政治(家達の)選択によって、すでに容認されていると考えますが、それは違うのでしょうか。(苦笑)

私には、この状況(憲法9条の存在と同時に、緊急避難としての自衛隊の存在という状態)を後退させる事、つまり今になって憲法9条を変えて足枷を無くす必要性は、全く感じないのですが。
投稿者:一時しのぎ
某地方紙2012年11月25日付け第10面(書評面)より


山内進著『文明は暴力を超えられるか』
(筑摩書房・3360円)

評者 萱野稔人(津田塾大准教授)

 暴力を「考える」ことは難しい。なぜなら私たちは暴力を前にすると、すぐにそれを「善い・悪い」で判断しようとするからだ。暴力を道徳的に判断することはもちろん大事である。だが、それは決して暴力を考えることではない。暴力を思考するためには、道徳的判断を いったん括弧に入れること、つまり脇に置くことが必要である。

 しかし、暴力をめぐる道徳的判断をどうしたら括弧に入れることができるだろうか。それは歴史を見ることによってである。
歴史を見ることで、暴力についての私た ちの道徳意識は相対化される。本書が示唆するのは何よりもこうしたこ とである。

 たとえば中世ヨーロッパは現代の私たちが想像する以上に暴力的な 社会だった。そこでは自力救済が原則とされ、他者から危害を受けたときに暴力によって私的復讐(ふくしゅう)をすることは不当でも不法でもなかった。むしろそれは権利であり、義務でさえあった。道徳的にもそれが美徳とされた。暴力による私的略奪も決して不法ではなかった。暴力はよくないことだと考える私たちの 道徳意識とは正反対である。

 したがって歴史的にいえば、なぜ私たちは暴力をふるうのか、と問うことは妥当ではない。逆に、私たちはなぜ暴力をここまで行使 しなくなったのか、と問わなくてはならないのだ。こうした問いこそが暴力を「考える」ことに道を開く。

 なぜ暴力を「考える」ことが重要なのか。なぜなら暴力は社会を動かす最大の要因であるからだ。事実、ヨーロッパの哲学、政治思想、法理論などはすべて暴力を主要なテーマにすえてきた。戦争などの国家の暴力から個人の犯罪まで、暴力をどう正当化し、あるいは違法化し、そして制御するのか。こうした問いへの取り組みは今でもなお 最重要の課題でありつづける。本書は、その課題にとって不可欠の書である。
投稿者:一時しのぎ
某地方紙2012年11月25日付け第10面(書評面)より紹介します。これを読むに、伊賀さんは西欧近代に対して真正面から向かわず、単に「嫌いで不都合なこと」を頬かむりして、「価値観の相違に過ぎない」とか「話せば分かる」とかいうんでしょうね。まさに、12月3日付けのキンピーブログで筆坂さんのJBプレス記事にあった「最大の理由は、何を言っても実現するわけがないという政治の現実がある。両党は、その責任は自分たちにはない、と思っているだろう。自分たちは正しいことを言っていると。でもそこがこの政党の一番の弱点であり、責めを負うべき点なのだ」の至言に一括されます。

書評そのものは、次のコメントに転載します。うまくいけばですが、この書評が伊賀さんの中で昇華するかもしれません(私にしては珍しくポジティブな用語≒昇華を使ってますが)。
投稿者:伊賀篤
●suterakusoさん。こんにちは。

> 改憲によって何かを掠め取ろうとする連中の言説に対抗するためには、大切なことだと思います

ありがとうございます。
しかし確かに、何故?…自民党やら維新の会やらが、今更…改憲を前面に持ち出してきたのか?を考えると、長引く不況と、格差の拡大といった、社会全体を覆う閉塞感から国民の目を背ける為であり、そんな場合では無いという世論形成による対抗の仕方も有りだと思いますが、既に社会の右傾化という相手の戦略が一定の効果を制している状況にあるという危機感が、私に本記事を書かせました。

よって9条の話をする時も、他の社会問題とも組み合わせ、攻勢的に、社会全体の厚生水準の向上に繋がる問題だと、生産的に話していきたいと思います。
投稿者:suterakuso
 伊賀さん、おはようございます。

 確かに座して日和見している状況ではないと思います。ただ、今の戦略としては、改憲派に対する「こんな時に改憲にかまける怪しい連中」という世論を形成するように持って行くこと、そのためにも、今は○○を議論すべき時だろうと主張することだと感じます。

 しかし、これはそもそも伊賀さんの本論とは別のことでした。9条がむしろ日本に安定をもたらし、「国益」ももたらしてきたこと、そして、国民国家の限界が見られるなかで、むしろ9条が世界のモデルとなるべきだということは、もちろん、不安を煽り、改憲によって何かを掠め取ろうとする連中の言説に対抗するためには、大切なことだと思います。
投稿者:伊賀篤
●suterakusoさん。こんにちは。

> 国民投票の手続きが規定されているのであり、そこで国民が正しい判断をすれば、それでよいのではないでしょうか。

これは、少しずつ改憲の世論を形成していくという相手側の動きを少し軽視してはいないでしょうか?

憲法9条に関しては、既に政治の世界では改憲に向けた議論が改憲派から為されており、それをマスコミも報道しています。

これに対して、憲法9条に意義を見出している側が、単に座して日和見している状況では、もはや無いと私は考えます。

ただ、もちろん…

> 今はそんなことより他にやるべきことがあるだろう?

…というのは、改憲の世論を形成しようとしている、改憲派にこそ言ってやりたいセリフですが、確かに前回のコメントでも書いた通り、今の国民の多くが一番望んでいる事は、再分配の強化による国民全体の購買力の向上によってこそ齎される、景気の回復ではありましょう。

しかし、歴史の教える所によれば、国内の内政に行き詰った政権は、外部に敵を作る事で、自分への批判を逸らしてきたという事もあります。
国民に定着している憲法9条を、破棄する為の世論形成は、こうした背景(再分配への富裕層の抵抗)もあって、自民党や維新の会などが、ことさらに選挙公約などに掲げるなどという愚行をし、それを通じて世論形成をしようとするのですから、今更ながらでも憲法9条の意義を訴える事は、決して無駄では無いと考えます。
投稿者:suterakuso
 伊賀さん、ご返信ありがとうございます。

 私はもちろん、日本が紛争に巻き込まれないようにすること、あるいは、それを最小限にすることは、何よりも重要なことだと考えます。私が、憲法改正の議論などしている場合ではないのでは?というのは、改憲派に対しては、今はそんなことより他にやるべきことがあるだろう?ということで、また、護憲派に対しては、自分たちが護憲派であることを強調するために、あえて改憲論議に火をつけるようなことはしない方が良いのではないか?ということなんです。

 憲法改正については、条文ごとの国民投票の手続きが規定されているのであり、そこで国民が正しい判断をすれば、それでよいのではないでしょうか。自民党は、小泉劇場によって、教育基本法改正を掠め取ってしまいましたが、憲法については、そのような掠め取りは起こりにくいのではないでしょうか。

 もちろん、改憲論者たちが、実際には、改憲を実現しようとするよりも、法律を変えることによって安全保障政策を変えてゆき、日本を紛争に巻き込むかもしれないと、警戒する必要はあると思います。
投稿者:伊賀篤
●suterakusoさん。おはようございます。

> 今の日本で、復興や不況対策や社会保障をなおざりにして、9条などの憲法の改正に妄執することに、果たして国民の支持が得られるのでしょうか

そうですね。私も日本人の多くが、今尚、平和憲法への支持がが有る事を信じたいと思うのですが(実際の戦争を経験した父母や祖父母からの話も聞いているでしょうし)、このブログでも前回の記事までで取り上げた隣国との軋轢やらに対して、それこそ馬鹿みたいに安易に自己と国家を同一視して「嫌韓」やら「嫌中」やらを主張したり、小林某などの漫画などを読んで社会を解ったつもりになっている若年層も居るのは事実なので、今ある「エキセントリックな反応」を煽る右派の目論見を【軽視】は出来ません。

> 今こそ左派は、再分配の問題が争点の中心になるような戦略を立てなければならないのでしょうか。
(中略)
> 私には、改憲論は、他の問題を争点から遠ざけるための、囮のようにも見えます。

もちろん、再分配の問題は大事であり、最も切実に国民の多数が感じているであろう長引く不況にしても、少し不正確かもしれませんが、最近になって社会の再分配機能が低下し、ぶ厚い中間層が失われ、貧困層が増えた為に、国民全体の購買力が低下したという一因もあるという、共産党の主張も、あながち外れでは無いでしょう。

しかし、日本の平和な環境に慣れていると気が付かない事もありますが、世界では未だに国家間の紛争等で多くの人の人権が奪われており、その中で日本の憲法9条を廃止しようという策動は生じているので、まずは平和であってこその再分配の問題という視点も重要でしょう。

貧困問題も普遍的な人権の問題ではありますが、貧困は耐える事が可能でも、最も基本的な普遍的な人権である生存権を戦争という愚行で切り崩されたら、もはやその人は再分配も語れませんから…

よって、両者(平和の問題と再分配の問題)には、政治戦術的な前後はあったとしても、人権という本質的には、どちらに優劣を付けるとか、単なる日常から目を逸らす囮として片付ける訳にはいかない、常に特有の意義があると、私は考えます。
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