2009/6/12 18:01
いや、まぁ、前回宣言した【禁煙】は、未だにちゃんと続いていますよ(笑)
これは別に私の意思が強くて、(まだある非常に強い喫煙)衝動を押さえ込んでいる訳でも何でも無く、単に経済的に生活が成り立たなくなりつつあるという危機感に、押さえ込まれているという状態であって、自分自身でも「望ましい」状態が実現しているのか、解らなくなりつつありますが、ここまで来たら意地でもヤケクソでも、少なくとも経済状態が回復する(手取りで3倍に戻る?)までは、続けてやりますとも。ええ、もう。これも現状を追認しかしてこなかった私自身のツケか…(苦笑)
あと現状追認と言えば、前回の記事からの間に起こった出来事として、私の勤務先の会社の大口の得意先(?でもないか…損してたから)でもあった、G●の破綻というか、日本で言う民事再生法の適用がありましたね…
我が社も、地方新聞の経済欄で「3億4千万の債権が焦げ付きか?」などと大袈裟に書かれてしまいましたが、幸いな事に、債務の大部分は、G●本体が韓国や中国で50%程を出資している、G●グループの中でも健全な部門だったり、北米G●本体向けでも、旧G●として整理される工場や車種ではなく、新GMに組み込まれる予定の工場へ納入した機械だったりしたので、殆どは回収できるだろうと、営業の担当課長は、楽観的に語ってくれましたが…
でも、以前にも書きましたが、G●の設備投資の効率(費用対効果)は、明か日本国内の大手自動車関連に我が社が納入している機械の3分の1程度(逆に言えば同じ性能の機械が3倍のコスト高)であり、これの大部分の原因は、無意味な程に固定化し膨大化したG●独自の「設備仕様」と、そこに書かれた指定メーカー部品の使用を「規則」として強制するという、硬直した現状を追認してきた事も、今回の破綻の一因は有る気がします。
(だから私には、今後の立て直しも容易だとは思われないのですが)
我が社でも、何処か価値中立的な無難な立場を取りつつ(それがカッコ良いとでも思っているのか)、現状追認しかしない、無思想という名の「思想」の持ち主の比率が、多い(もちろん残念ながら私自身の一部の面も含めて)からこそ、出口の無い低空飛行を続けているのでしょう。
このブログのタイトルでもある私の昔の筆名に出て来る「某政治団体」もそう。
自分達の現状を直視し、今までの自分達の全てを疑うぐらいの気持ちで、現状追認を改めねば、その功罪は自分達に帰ってくるだけでなく、善良であるだけでも、周囲にとっても迷惑になる事さえあると認識しないとね。
個人的な面に限ってさえ、超えなきゃならない課題を考えると、気が重くなる事もありますが、そこは前向きに少しずつでも、前進していきたいと思う処であります。
現状を追認せず、新しい状態なり規範なりを産み出す為に、がんばっている人達も、世に多数居る事は確かなのですから…
(ただまぁ、どちらが前か?については、意見の分かれる処だというだけで…)

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投稿者:伊賀篤(管理人)
こんにちは、レスありがとうございます。
上級官僚や政治家について…
> 自分の出世や身分を護る事を優先事項にする事で「現状追認」に倣う事は、本来的に許されない、その種の社会的責任があるはずです
…というのは私も同感ではあります。ちなみに、なにげに妻に「何で政治って良くならないんだろうね?」と問うと、「そりゃ既得権益を持ってる人が好き勝手やってるからだよ」との事、きっと多数の人も保身や安楽の為に現状を追認し庶民の声とは乖離した「好き勝手」を続ける一部への怒りは同じでしょう。
でも、問題は、何故「好き勝手」を許しているかなんですよね、少なくとも「民主主義」を掲げ、制度的に幾らかの問題は有るにせよ一定の保証が担保されている筈の社会で?
つまり、民衆の意識レベルでの善良さやら「人間性」の維持やら矜持による…
> 政治家や官僚の怠慢やフリーライドを防止する上でも、究極的にはその点がもっとも重要だと思います。
…と評価して頂いた、前回の私の提起だけでは、具体的力として足りないものがあるという事ですよね。それは確かに…
> やはり説得的な代替案や、それらを実行する意欲も馬力も持った人材集団が、在野の民衆の中から現れ、既存の政治勢力や官僚勢力に脅威を与えるくらいにまで持っていかないといけないだろう
…という事なんでしょうが、一方で私が危惧するのは、英雄的な人々や集団の登場に対する、人々の代行主義でもあります。
人々は「救済」されるのではなく、自らを「連帯」の力で「解放」できるだけ、強くなっていかねばならないのも、一面では正しいのだろうと…
個人的に何の責任も落ち度も無いにも関わらずハンディーを背負っている人達と、(自分自身は安易で)立場が違うにも関わらず「いっしょに」ありたいというのは、綺麗事に過ぎる様に思われるかもしれませんが、「代替案や、それらを実行する意欲も馬力も持った人材集団」が権力を目指すにあたって、原点として押さえておくべきポイントかもしれません。
力不足に悩む私が言うのも「おこがましい」事ではありますが、無力に安住しないための自戒として…(笑)
投稿者:Harry
(続きです)
>まぁ、一人では、あまり大きなものは抱えられなくても、そう思う人が多くなっていけば、組織も変わるし(会社も良くなる?)、社会も変わっていくでしょう。(笑)
政治家や官僚の怠慢やフリーライドを防止する上でも、究極的にはその点がもっとも重要だと思います。失職という事態にしても、それが周辺で頻繁化すればするほど、自分も将来に直接的当事者になるリスクを人は考え出しますから、仮に現状でそのような状況になくても、これ以上の状態悪化を進行させる現状を放置する事に反対しだすでしょうし、変えなければならないと思い始めている人たちの人数は潜在的には少なくないと思います。ただ、それだけではなかなか進まない、という現実も見ているわけで、やはり説得的な代替案や、それらを実行する意欲も馬力も持った人材集団が、在野の民衆の中から現れ、既存の政治勢力や官僚勢力に脅威を与えるくらいにまで持っていかないといけないだろう、と思います。
投稿者:Harry
こんにちは、レスありがとうございます。
>しかし、それを傍目で見ながらも自分自身に害が直接及ばない中間層(私自身を含む正社員を始めとして)は、自分自身に害が及ぶまで考えないんですよね。(苦笑…例の対談本にも出てきましたが、私もそうです)
まさにそれが、「利害の直接的当事者ではない立場の者」という事でしょう。理屈では直接に害が及ばない等という事はありえない、と解っていても、漠と「まだ自分は大丈夫だろう」と安心したい性向が人には誰にも多かれ少なかれあるでしょうから。
それから、不当解雇された労働者が、その事に対して闘わずに泣き寝入りする意思決定をしたとしても、それは尊重せざるを得ない、彼らにとっては生活を護り家族を護ることが何よりも優先事項でしょうから。究極的には、そこは個人の人生の自由であるから。
ただ、その理屈は官僚や政治家には通用しない、と思っています。彼らは、国民から多大な権限を委ねられて、それらを適切に行使し運営する事で生活している人たちです。自分の出世や身分を護る事を優先事項にする事で「現状追認」に倣う事は、本来的に許されない、その種の社会的責任があるはずです。その種の社会的責任を自覚しない上級公務員や政治家が、最近は多すぎる事が、現在の日本の混迷を齎している大きな元凶の1つである事は間違いないように思えます。
投稿者:伊賀篤(管理人)
…続きです(1000文字なんてスグですね)
> 利害の直接的当事者ではない立場の者が、「現状追認」に逆らうとすれば、それはなぜでしょうか?1つは、現状追認に逆らう事に対して、何らかの「誇り」を抱く部分があるから、という気がします。
そうですね。「人間」としての「誇り」と言っても良いでしょうし、「人間」としての「連帯感」や「友愛(…誰かが言ってますね…苦笑)」と言っても良いと思います。(そこらへんはキャラクターの違いもありますが)
まぁ、一人では、あまり大きなものは抱えられなくても、そう思う人が多くなっていけば、組織も変わるし(会社も良くなる?)、社会も変わっていくでしょう。(笑)
投稿者:伊賀篤(管理人)
こんにちは。
> 利害の当事者でもない限り、普通は「現状追認」になるのは当たり前
まぁ、利害の直接当事者(例えば解雇される非正規労働者)ですら、切り離された個人個人と、大組織という圧倒的な力の差を前に、それに逆らうというリスクテイクは難しい…というか、それ以前に(とりあえず)次の仕事を見つけるという形での「現状」を「打破」するのが先決というのも現実で、安易に解雇されてしまった方の「現状」は涙を飲んで「追認」せざるを得ない場合も多いでしょう。
しかし、それを傍目で見ながらも自分自身に害が直接及ばない中間層(私自身を含む正社員を始めとして)は、自分自身に害が及ぶまで考えないんですよね。(苦笑…例の対談本にも出てきましたが、私もそうです)
もちろん、全てに逆らって生きるなんてのは不可能ですし、仮に浮いた存在になる事に耐えたとしても、追認しない現実全てに対して、「新しい事、変わった事を言う事で、言った主張の責任を取る事で色々と実行の負担を押し付けられる」事に耐え得る人間は居ないでしょうね。
現状追認=現状を合理的な帰結として、納得した気になれるのは(価値中立的に「それが現実さ」とか言って済まされるのは)、それでも自分自身に害を生じない事が確約された立場の人であり、かつ個人主義的信条と行動原理しか持っていない人に限定された場合でしょう。
それならばリスクも負わずに済む安易で自然な態度とも思えるのですが、普通は将来的にも害を生じないというのが本当か否か?ぐらいは自問し不安を感じるぐらいの事は、今の時代ならば自然ですし、スタートラインでのハンディーキャップや障害を抱えた人達に「自己責任」だなどと放言する程に徹底した個人主義者も稀でしょう。まぁ普通は微力で特段に大きな事はできなくても、自己の利益にはならない税金等を通じた再分配の必要性自体まで否定はしないでしょう。(まぁ現状の再分配の有り方については是非も有るでしょうが)
投稿者:Harry
しばらくぶりです。
色々と考えさせられるエッセイですね・・。「現状追認」は、家族を護りながら日常生活を誠実に送る大多数の人々にとっては、まあ、自然な発想であって、非常に良く理解できるから、それらを責める気にはなりません。しかし、他方で、国の運営に関して、一般庶民に比べて一段と重い責任のある立場の人たちにおいて「現状追認」の空気が根強い事は、危機的な状況だと思います。その批判は、「某政治団体」にも、とりわけ現執行部層に対して、当てはまります。仰るように、これら責任の一段と重い立場の人たちの「現状追認」は、「その功罪は自分達に帰ってくるだけでなく、善良であるだけでも、周囲にとっても迷惑になる」というのはその通りだと思います。
しかし人間としては「現状追認」の方が楽だから、安きに流れるという傾向性は、誰もが持っていると思います。「現状追認」の流れに逆らう生き方は、想像以上にシンドイし、孤独でもあります。なぜ「現状追認」するかの1つは、新しい事、変わった事を言う事で、言った主張の責任を取る事で色々と実行の負担を押し付けられるのが嫌だからでしょう。「言いだしっぺがやれや〜」と言われるのを怖れる気持ちです。フリーライドする立場からフリーライドされる立場に変わる事を避ける気持ちと言ってよい。他方で、現状追認の流れに逆らう発言をする事で、周囲の仲間・同僚から「変な人」、「怖い人」という烙印を押されて、浮いた存在に成りかねない事を怖れる気持ちです。孤独になるのを避ける気持ちです。これだけのコストが予想されるわけであるから、利害の当事者でもない限り、普通は「現状追認」になるのは当たり前とも言えます。では、利害の直接的当事者ではない立場の者が、「現状追認」に逆らうとすれば、それはなぜでしょうか?1つは、現状追認に逆らう事に対して、何らかの「誇り」を抱く部分があるから、という気がします。