2009/9/8 20:27
先週末に奥さんから会社に失踪の届けのあった、同期入社で同じ年でもあった(結婚前は社員寮の隣りの部屋で、一緒に遊びに行ったり、つきあってた彼女を奪われもした)会社同僚の、M君を、会社の近くの森林公園で、昨日に地元の消防団の人達が、遺体で発見したと、今朝の朝礼で話され、黙祷を捧げました。
森林公園内の、高い吊り橋の脇で放置された彼の車が発見されたのが昨日で、今日は社員総出で山狩りをするなどと話していたのですが、間に合いませんでした。
彼も私と同じく、会社内での転属が多く、新築の家を建てたとたんに、設計部署から海外現地法人に移動になり(仕方なく新築の家は他人に10年契約で貸し出し)、3年もしないうちに日本に戻って来たあと、しばらく物流センター(倉庫番)みたいな事をしていた後に、花形の営業部門の管理課に返り咲いて、2ヵ月も経っていない出来事でした。
営業部門の管理課に来てからは、席が近くなった事もあり、よく顔は合わしていたのですが、彼の結婚前・海外に行く前みたいな交友関係は途切れてしまっていた事もあり、ろくに言葉を交わしたり挨拶すらしていませんでした。
今更言っても詮無き事ですが、彼の面相は、以前とは全く別人の様に暗く気弱な感じになっていたのに、一緒に(私自身も鬱病で今も通っている)精神科に行こうとすら、声をかけなかった事が悔やまれます。
何の役にも立てなくて「友人」だったなどとは口が裂けても言えないでしょうが、今は唯、本人の冥福と、家族(子供は居なかったと思いますが)の心の傷が一刻も早く癒える事を願います。
私自身は、妻も2人の子供も両親も居て、まだ決して死ぬことはできぬ身なので、どこまでも「遠く」まで、生き抜いて行こうと思ってますし、薬の助けもあり鬱病特有の衝動にもいい加減に慣れて来ましたが、(それだけでなく)今後は同じ事を繰り返さず、周囲の人の限界の叫びに気が付いてあげられる人間に成りたいと思いました。

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(続きです)
> 誰に対しても気付いてあげられるというのには限界があると思いますが、交流を通じて大事に思う相手に対しては気付く配慮のある存在であるようにいたいと思う次第です。
そうですね。私も(個人としては)万能な存在に成れる筈も無いのです(私の今の限界だと思ってます)が、会社みたいな「組織」に対しては、時に構成員に対する配慮義務の様なものが、個人に対してより厳しく問われる場合もあります。我が社も(アリバイかもしれませんが)メンタルヘルス対策として、カウンセラー会社と契約して、連絡先だけはポスターにして張ってあるのですが、果たして充分だったかどうか…
(結果から言えば不充分の謗りは免れないかもしれませんが)
もっと中小の企業や、個人経営みたいな、社会全体の問題として捉えれば、毎年、何万人も自殺者が出る様な社会は、やはり何処かおかしいか、何かが足りないのだと思います。
> 伊賀さんも今回の事であまり落ち込みすぎず、早く気持ちの元気を取り戻せる事が出来るよう、祈ります。
ありがとうございます。実は今回の件が起こる前には、ここの所、4人の私の弟妹の内で、一番下の妹の家庭が壊れ、妹自身の精神状態なども気に病んでいたのですが、逆に生きてさえいれば、まだマシと思える様になった気もします。(苦笑)
力尽きて逝ってしまった人の分も、私は、行ける限り「遠い」処まで、生きて生きて行き抜く所存ですので、どうか御心配なく。御互い頑張りましょう。
Odaさん、コメント有難う御座います。
> 痛ましいですね・・・、ご本人のご冥福をお祈り申し上げます。ご家族の心の傷は簡単には癒えないでしょうが、深刻にならないと良いですね・・・。
そうですね。私と同じ年で(まだまだこれから)働き盛りですし、まだ子供は居なかったのですが、奥さんもそうですが、ご両親の心痛は如何ばかりかと思います。
> 反面、段々年齢と共に日常の仕事をこなす事に追われるだけで、友人の様子に配慮する心のゆとりも無くなりがちなものですね。
私も、昔は一緒によく遊びに行った、同期の友人達とも疎遠になりがちで、まだ居住地域での義理(と人情)も半分混じった付き合いの方が、日常的(といってもイベントが有る時がメインですが)に接して居る気がして、会社では(殺伐とした)仕事オンリーの付き合いになりがちです。
今回の自殺は、わざわざ会社の近くまで来て為されたものですし、御家族にすれば、いくら葬儀等になってから「援助」した所で、故人の(これまでの)配属の経緯もあり、あえて言葉を選ばずに言えば、私も含む会社(組織)に「殺された」と思えてしまうのかもしれません。(勝手な推測ですが)
> それが無いと、男は特に、容易に死の誘惑に誘われてしまいがちになるのではないか、とも思ったりもします。
家族でも恋人でも友人でも、何なら片思いの相手でも養子でも構わないから、人は誰かと繋がっていてこそ、生きていく事が出来るのかもしれませんね。
投稿者:Oda
痛ましいですね・・・、ご本人のご冥福をお祈り申し上げます。ご家族の心の傷は簡単には癒えないでしょうが、深刻にならないと良いですね・・・。
>今更言っても詮無き事ですが、彼の面相は、以前とは全く別人の様に暗く気弱な感じになっていたのに、一緒に(私自身も鬱病で今も通っている)精神科に行こうとすら、声をかけなかった事が悔やまれます。
確かに落ち込んでいるときに、何気ない友人の一言がきっかけに立ち直るという事は、20代の頃の私の経験でも少なくなかったですが、反面、段々年齢と共に日常の仕事をこなす事に追われるだけで、友人の様子に配慮する心のゆとりも無くなりがちなものですね。私も最近は同期の同性・同世代の友人とはすっかり交流がご無沙汰な日々ですが、たまには声を掛け合って、交流の機会を持つようにしたほうが、精神衛生上良いのかどうか・・・?
>私自身は、妻も2人の子供も両親も居て、まだ決して死ぬことはできぬ身なので、どこまでも「遠く」まで、生き抜いて行こうと思ってますし、薬の助けもあり鬱病特有の衝動にもいい加減に慣れて来ましたが、(それだけでなく)今後は同じ事を繰り返さず、周囲の人の限界の叫びに気が付いてあげられる人間に成りたいと思いました。
同感します。これくらい生きてくると、「生き続ける責任」を感ずる存在がいる事が、己が生きていく動機を維持する上で大切であると思うようになってきました。それが無いと、男は特に、容易に死の誘惑に誘われてしまいがちになるのではないか、とも思ったりもします。また、伊賀さんの「後悔」の気持ちもシンパシーを感じますが、他方で普段からの心なり感情の交流の絶えた相手には、重大なシグナルがあったとしても無関心のうちに見逃してしまいがちでもあると思います。そういう意味では、誰に対しても気付いてあげられるというのには限界があると思いますが、交流を通じて大事に思う相手に対しては気付く配慮のある存在であるようにいたいと思う次第です。
伊賀さんも今回の事であまり落ち込みすぎず、早く気持ちの元気を取り戻せる事が出来るよう、祈ります。