旧電電公社(NTT福山支店吉津寮)の跡が分譲住宅になっている。写真の奥が北東方向。

向かいの茶色い板壁の家(T本宅)の敷地を抜けた後ろ側に吉津駅があった。
南北の道路(写真では左右)から手前(西は)アメリカ軍の爆撃で焼失した。御手洗川と吉津川の間から神辺街道(現旭通り)と山際の間まで(北吉津町四丁目6〜5の東半分)と神辺街道に接した北側(奈良津町一丁目8)の一部が焼失範囲になっている。この電電跡も全焼した。
電電の東側は水田で、T本さん宅も勿論、昭和10年までは建っていなかった。終戦後水田跡に建った家だ。その後もかなり長い間、T本さん宅より東側は農地の時期が続いていた。
つまり、鉄道用地の南北(左右)の地権者は同じで、敗戦後の跡地は住宅の敷地の境界線などの目印が全くない。住んでいる人も皆新しい人ばかりで、聞き込み調査は期待できない。神辺街道(現旭通り)y字三叉路から縮尺計算して凡その線路位置を割り出すしかなさそうだ。〆(..)para1002n(ぱら仙人)


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