両備軽便鉄道は、両備福山駅 - 府中町間(13.7M≒22.05km)が1914年(大正3年)7月21日に開業。軌間762mmの狭軌鉄道で、1935年(昭和10年)12月14日に福山 - 横尾間がルート変更されて廃線になった。今現地踏査している部分は、その福山横尾間(広島県)の廃線跡だ。
両備軽便鉄道全線路線図 (昭和5年 実地踏査福山市街全図右肩広域図)
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開業以後の主な歴史はウィキペディアに次のようにある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1914年(大正3年)11月20日 - 胡町停留場開業。
1915年(大正4年)5月4日 - 吉津停留場開業。
1920年(大正9年)6月29日 - 道上停留場を道上駅に格上げ。
1922年(大正11年)4月9日 - 両備軽便鉄道高屋線として神辺 - 高屋間が開業。
1923年(大正12年)1月12日 - 鵜飼停留場を鵜飼駅に格上げ。
1925年(大正14年)1月12日 - 戸手停留場を戸手駅に格上げ、
1926年(大正15年)6月26日 - 両備軽便鉄道が両備鉄道に改称。
1927年(昭和2年)6月25日 - 両備福山 - 府中町間電化(直流750V)。
1930年(昭和5年)4月1日 - 営業距離の単位をマイルからメートルに変更(13.7M→22.0km)。
1933年(昭和8年)9月1日 -
両備鉄道の両備福山 - 府中町間が国有化、福塩線となる。
停留場を駅に格上げ。両備天王駅を上戸手駅に改称。
このとき、両備鉄道のうち非電化であった高屋線神辺 - 高屋間は買収の対象から外れ、神高鉄道に譲渡され、1940年(昭和15年)に井笠鉄道の神辺線となったが1967年(昭和42年)に廃止となっている。
1933年(昭和8年)11月15日 - 福塩南線に改称。
1934年(昭和9年)6月15日 - 神辺 - 湯田村間に高屋川仮信号場開設。
1934年(昭和9年)9月21日 - 高屋川仮信号場廃止。
1935年(昭和10年)12月14日 - 横尾 - 府中町間を軌間1067mmに改軌 (-0.2km)。福山 - 横尾間を新線に付け替え (+1.8km)、既設の福山駅に乗り入れ。
両備福山駅、胡町駅、吉津駅廃止。
両備軽便鉄道の詳細は
「備後歴史探訪倶楽部」の「両備軽便鉄道」もご参照ください。
お盆の間休んでいました。昭和5年の地図で随分悩まされました。そのどたばたは次回。〆(..)para1002n(ぱら仙人)


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