横尾踏み切りの先は直線ではなかったようだ。20年前の航空写真では橋脚跡と横尾駅を直線で結んだ線と平行して農道が写っている。これは農道の跡で、軌道(直線だったとして)から離れすぎている。
両備鉄道(旧福塩線)横尾踏み切りの先からS字カーブに入る
ヤフー地図航空写真Pasco
千田川は今は改修されているが当時は小さな川が二本流れていた。川を渡る鉄橋の橋脚は数年前まで広畑内科の敷地から5mほどの所に残っていた。
横尾駅前のW辺さんの話「@線路は一番膨らんでいる所(ソーイング桑田の西)からS字になっていた。Aあの電柱が2本並んでいる所(S戸さん宅角三叉路)は鉄道用地だった。B佐藤電気よりももっと国道より(東)を線路が通っていた。」
福塩線カーブ付近三叉路角のT田さんの話「@あの赤い旗が見えるところ(ソーイング桑田の西)から線路が出て、丁度家のこの辺(駐車場)を鉄道が通っていた。A真っ直ぐじゃなくてぐうっと逸れていました。B2mくらいの盛り土があって鉄道はその上を通っていましたよ。畑から当時のバラスが出ます。C今は埋め立てて見えないが、広畑内科の敷地から5mくらい先に橋脚が数年前まで残っていましたよ。」
千田2丁目のK川さんの話「佐藤電気は後からあそこに來たんで、田圃の中で何もなかった。横尾の町に入る三叉路(M脇さん宅の東隣)の辺を通っていた。」
昭和37年1月の福塩線脱線事故

現在の戸手駅の手前に山裾を迂回するように緩いカーブがある。大事故ではないが、ここで脱線事故が起こったことがある。横尾でも狭軌鉄道時代に同様の脱線事故が起こったことがあるので、参考に現場の地形を見に行ってきた。緩いカーブの入り口に黄色の板に黒字で「曲」と書いた電車用の標識が立っていた。緩いカーブでも脱線することはあるらしい。
況してや、昭和初年の両備鉄道はレール幅が狭い上にカーブに勾配がつけてなかった。
横尾踏み切り跡近くのT本さんの話「祖母が踏み切り番をしていました。家の田圃に軽便鉄道が脱線して転げ落ちたことがありました。」
この話を聞いたとき、どうして直線で脱線するのか疑問に思った。ただ、どうしてS字のような危険なカーブにしたのかそこが腑に落ちなくて、地形状からの理由を考えてみた。千田川は2本あってそこを渡るには橋脚を積み上げて鉄橋を架けるのだが、斜めよりも直角の方がよいのだろうと思う。踏み切りの旧道と川とは2m以上の落差がある。川以外のところは盛り土の上をバラスを敷いて枕木を並べ鉄道が敷かれている。周囲よりも小高い所があれば、何も高く盛り土をしなくても、その高みを選んで通す方がいい。真っ直ぐ進んで急に低くなる地形よりもS字であっても、高みを選んだ方がよいと当時は考えていたのかもしれない。
証言の一致する所を選んで結んだら、S字カーブがあったことはほぼ間違いない。〆(..)para1002n(ぱら仙人)


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