鞆軽便鉄道(58)
銭取り橋は草戸大橋の
所(9mほど上)30m上に架かっていた橋です。「沼隈郡誌」には「銭取橋 長さ五十三間、幅員二間一合、草戸村中山地及大河原 コンクリート」とあります。、「芦田川改修史」の「改修工事着手以前の芦田川の橋」には「沼隈郡誌」から引用して「銭取橋 ・・・木橋」となっていて一致していません。近所に住んでいたK林さんは「木です、木です」と即答でした。「沼隈郡誌」が間違っているようです。
一合という単位はよく分かりませんが、山の八合目とか、容積の一合とか「合」は1/10のようですから、1/10間だとすれば、長さが96m、幅十二尺六寸=3m80cmの橋だったということです。
さらに「芦田川改修史」には「草戸大橋
この橋はもと福山市草戸村地先の6/651m(6.651km)地点に架かっていて、県道福山〜鞆港線の中にあって交通に大きく役立っていた木橋であったが、芦田川の改修工事の進捗に伴って、架け替えの必要を生じたために、昭和7年度において新しく鉄筋コンクリート造りのものを施工した。」とあります。短期間木造の草戸大橋が実際にあったのか、「この橋」とは前身の銭取橋のことを言っているのか、確定までにはもう少し時間が必要ですが、銭取橋そのものは木の橋だったようです。
ちなみに「草戸の今昔」執筆者のK林M雄さんの話では草戸大橋の工事期間中は川舟で渡していたそうです。
6.6km標柱から95m先にある石段(写真奥が水呑=南方向)(この石段は堤防が出來てから取り付けられたもので、橋の位置とは全く無関係でした)

石段の真下にK田商店、その右隣が橋の駄賃を徴収していた通称橋駄さん。
もっと先の方の路地から1本裏の通りを歩いていると、N川さんに出会いました。銭取橋の跡を探していると知ってわざわざ石段の所へ案内してもらって、そのときN川さんはこの石段は関係ないかもしれませんが、なんとなく橋があった跡の気がするのです。違うかもしれませんがと何度も念を押して案内してくれたのですが、私が橋の跡であって欲しいという勝手な思い込みで決め付けてしまいました。
今日、橋の跡が現物で確認できましたので、全面的に訂正します。
川の中から姿を現した4本の橋脚

今、瀬戸川の浄化工事が進められている。中州の上を堰き止めてポンプで水をくみ出して水位が近年になく下がった。何かの遺構のようなものと共に4本の柱が姿を現した。銭取橋の橋脚だ。現物が出てきたのだから今のうちに測量しておけばはっきりした位置関係が確認できる。
線路は斜めに天使幼稚園方向に向かっていた

「草戸駅から60mほど離れてうち(K林さん)の精米所がありました。近所にハッカ工場もあって家が4軒ありました」草戸町K林さん談。
この後、鷹取橋と鷹取鉄橋まで行って、この旧線を終了します。続きは再び洗谷の妙見駅から鞆まで向かう予定です。

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