鞆軽便鉄道(66)
野上町民館(広島県福山市)の壁に町内歴史案内図が掲げてあります。鞆鉄道の廃止は昭和29年3月1日付けです。最後の営業運行が2月28日で、さよなら列車の運行は1か月後の3月28日でした。当時の鉄道の様子をよく知っている町内の方はたくさん居られます。大正8年の洪水を見聞きした方もいらっしゃるはずです。地元に掲示してある歴史地図はかなり信頼度は高いと思われます。特に橋の位置とか鉄道の線路の位置は実際に渡った人もいるし、鉄道廃線地の地権者もいますから、少なくとも鉄道と生活橋の位置が逆になったりすることはないはずです。
野上町民館の町内歴史案内板

薄い赤線は旧道です。鴨原橋の架かっていた道路は鉄道から西側に少し離れていました。そして角度も南に行くほど鉄道から離れます。公園を挟んで南の広い通りが競馬場方向へ行く道路で、これが大正8年の大洪水で決壊した野上土手です。鉄道の下から公園方向に180mが決壊したのです。崩れた土手側の橋脚の数本が川上方向に線路枕木と共に横倒しになりましたが、残りの橋脚は無事に立っています。平時は次の信号までの北半分が川の流れで手前半分とは水量も違うし、旧土手(次の信号の道路)の方が低くて山手橋のほうで決壊した水で反対側も浸かっていますが土手そのものは残りました。
鷹取川鉄橋は旧土手を過ぎて更に喫茶店エーワンの駐車場付近までありました。
昔の鴨原橋跡

現在の鴨原橋は鉄道が撤去されてから道路がそちらに移ったもので、橋から少し西に寄ったこの位置に昔の鴨原橋がありました。なにやら古そうな石積みが残っていますが、鉄橋の跡ではありません。昔の鴨原橋の跡です。鞆鉄道旧線の橋台ならこんなに坂道のように傾斜して積むことはないでしょう。水平に積むはずです。

下井手川の対岸に真正面より少し鉄道よりに石積みの跡がありますが、向かい合わせにしては若干石の切り方積み方に違いがあって当時のままのものではないようです。この向き合った石積みのずれている角度は丁度上の地図の旧道の角度と一致します。昔の鴨原橋の跡に違いないです。
シリーズ「ラッキョ汽車漫歩」の続きはこちら「ごめちょき」2008/12/25「道三川」鞆軽便鉄道(67)です。
〆(..)para1002n(ぱら仙人)


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