鞆鉄道(98) 九所谷川橋台
県道(主要地方道福山鞆線22号)から、田尻漁港に注ぐ九所谷川を上がっていくと、白壁の尽きる所、柿ノ木の手前に鉄道がありました。一跨ぎほどの小さな谷川ですが、鉄橋が渡してあって橋台の石組み跡が今でも残っています。
この谷川の奥に鉄道の位置が正確に分かる鉄橋跡がある

(1)
道幅はもっと狭く、川幅はもっと広かったようですが、右岸(南、写真の左側)の石垣は昭和29年(1954)当時の様子を残しています。
門扉の中央辺りまで橋台の跡が残っている

(2)

(3)
(2)S藤さんの門扉の中央辺りまで橋台の切り欠き部分が残っています。川に渡してある石橋の下です。
(3)この切り欠き部分に台木を乗せ、枕木を受ける鉄骨の桁が渡されていました。切り欠きの両サイドまで完全に残っていて、幅は3.1mです。他の橋台の幅と大体同じくらいです。橋台の切り欠きの内法は2.7mですが、川を渡る直前の南側の鉄道用地は、盛り土の裾が6.6m、川を渡って北側は4.5m、再び県道と交差した後は3.6mです。ですから川の対岸のS藤さん(この周辺はみんな同じ苗字のS藤さん)の壁の際から4.5mが鉄道用地の幅です。橋台の切り欠きからさらに両サイドに三尺(90cm)あったことになります。
いずれにしてもこうした遺構は鉄道の高さを知る上でも動かしがたい基準点ですからとても貴重なものです。

para1002n(ぱら仙人)


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