鞆鉄道(264) 大川下新田七丁目(7) 水呑三新田区画整理事業
(広島県)備後圏都市計画事業水呑三新田土地区画整理事業に関する条例が制定されたのは平成3(1991)年9月30日です。それから測量が行われ、図面が引かれ、新しく縦横を赱る県道や市道の用地買収、代替地交換折衝などが行われ、数年後に実際に造成工事が始まります。
条例が制定される前に三新田には既に大川下新田四丁目にはH本さん、五丁目にはT中さん、六丁目は家は一軒もありませんが、七丁目にT木さんの家がすでにありました。
幻のL字路は区画整理事業中にこの三軒の生活路を確保するために短期間設けられた迂回路を兼ねていたと考えられます。ゼンリン住宅地図の1994年までは鞆鉄道跡が道路のように九丁目から二丁目(福山市A西部271ページ)にかけて斜めに通っています。
1996年には下新田の沖の方(東)や、五丁目、六丁目の鉄道用地跡周辺が造成中になっています。三四丁目や七丁目より南には鉄道跡地の斜め道路が残っていますが、T中さんの隣からT木さんの間は造成工事で斜め道路(鉄道跡地)がなくなっています。その途切れている間の迂回路ができています。
1998年版では、三新田から斜めに赱っていた鉄道跡地道路はほぼ消え、T木さん宅の東に接していた鉄道跡とその迂回路だけになり、三新田の区画道路の主なものはほぼ形が見えてきました。
四丁目と五丁目の間の道路と交差する目印

(1)

(2)

(3)
写真の奥が南東です。
(1)建内はり灸接骨院の通りです。七丁目から五丁目まで工事期間中にあった迂回路は正面のマンションのところをとおってここに出ていました。場所はちょうど歩道の縁石切り欠き部分で幅もほぼ同じ4.5mです。
(2)鉄道は鍼灸院の交差点中央のマンホールよりちょっと北側がセンターです。鉄道用地の幅は五丁目の北側、現在の公図界上で7.2mです。
(3)電柱「運動公園支30左1左1」が鉄道のセンター付近で、遠くから見通すときの目印になります。偶然ですが、七丁目のT木さんの北側の電柱と五丁目のこの電柱を結んだ直線の延長線上が軌道の中心線になります。次回は六丁目のグランディアパレスです。

para1002n(ぱら仙人)
人気ブログランキング ←ワンクリックをよろしく!!

1