野上土手(広島県福山市芦田川)の高さは水面から人3人分だったようです。下井手川畔から4.5mの立ち上がりはかなりの勾配になります。動力のついている列車ならまだしも、人力で大八車を押し上げるには相当難儀をするはずです。
同様のことは浜川土手(入り江)にも云えます。地勢は城下が高く、離れるにしたがって低くなっています。土手の南手前で取り付け道路が斜めに侵入します。坂の傾斜を緩やかにするためです。
土手が取り払われた後でも、道路の両サイドの地権者というか境界線は変わらないので、シルエットはそのまま残ります。
鷹取川は土手の南側には橋があるのでいきなり土手の頂上ですが、北側には長い緩やかなスロープの取り付け道路があったようです。地吹の荒神さん南西角から橋の袂に土手に上がる坂道があったそうです。(草戸の今昔)
土手の下から斜めにスロープがあった

鞆鉄道の鉄橋は大正8年の大洪水までありました。長さは58間(105m)。鷹取橋は55間(100m)でした。幅員は二間一合。一合という単位がいまいちよく解りませんが、3.6mはありました。現在の道路幅の半分くらいの橋が架かっていたということです。
鷹取橋北詰の親柱

上方から下ってくる方角には漢字で橋名を彫ってあります。北詰の親柱は荒神さん境内の南東隅に保存されています。
次回は南詰の旧土手の予定です。

para1002n(ぱら仙人)
人気ブログランキング ←ワンクリックをよろしく!!

0