2010/6/13

佐々木誠監督 ロングインタビュー 再開!  インタビュー
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福田が初めて佐々木誠監督作品「Fragment」を見たのは2009年の正月。
いわゆる典型的な「二代目のボンボン」として、六本木の裕福な実家の寺、長耀寺を継いだ若い僧侶・井上実直が、9.11を機に、静かに、しかし確実に、真摯な「宗教者」としての自己を形成していく様を淡々と追い続けたこのドキュメンタリーは、正月ボケの脳ミソに深く突き刺さった。
ニューヨークのグラウンドゼロを訪れた事をキッカケに、世界三大荒行と言われる激烈な日蓮宗100日大荒行に参加、「修法師」としての資格を手に入れた彼は、再びグラウンドゼロへ赴き、祈祷する。それは鎮魂のための祈祷なのか、平和のための祈祷なのか、ただ自らのための祈祷なのか。そういった積極的な問いかけは映画の中には一切現れないし、祈祷に向かう心情も祈祷を済ませた心情も、一切語られない。カメラはただ、降りしきる春の雪の中、「正統な修法師」としてグラウンドゼロでの祈祷を終えたあと、ハワイのパールハーバーでも祈祷する井上実直の姿を、そして、もう一度100日大荒行に参加する井上実直の表情を追い続けるのみだ。一切の音楽、モノローグを廃し、徹底的に客観的な視線を死守した冷静なドキュメンタリー映画でありながら、最後に彼のもとに「祈祷」を求めてやってくる老人のシーケンスが強烈な印象を残す。素晴らしいバランス感覚である。作品に感動して、佐々木誠監督にインタビューし、ロングインタビューの「初回」を掲載したのが2009年3月24日。その後、腰を据えてインタビューページを構成する時間がどうもうまく作れないまま、すでに1年以上が経過してしまった。佐々木監督、ごめんなさい。やっと載せます。というわけで、来週の6/19(土)14:00に、法政大学市谷キャンパス外濠校舎6階で開催される佐々木監督作品の上映会のささやかなPRの意味も込めて、監督へのロングインタビューの再開、さいか〜い!

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■以下、YF=福田、MS=佐々木誠(敬称略)■

YF 「Fragment」は基本的にとても静かでクールな作品ですよね。

MS そうですね・・僕の中には、被写体との一定の距離を保ちたい、という感覚が常にあるので。このへんは明らかにガス・ヴァン・サントの作品の影響です。

YF でも同時に、「主人公」の井上実直くんの撮り方には、あきらかに「ヒロイックなキャラクターを見つめる視線」を感じる。それはもちろん、実直くんが俳優やTVタレントをやっていたこともあるいわゆるイケメンで、画面に映るとちゃんと「かっこいい」からそう感じる部分があるんだろうけど。雪の降りしきるニューヨークを、祈祷師としての正装をした実直くんがグラウンドゼロに向かって歩いていく姿は、なんというか、最終決戦に向かうヒーローみたいな(笑)。実際には全然「最終決戦」にはならないんだけど。

MS 多分、僕の中ではこの映画が「スターウォーズ」でもあるからでしょうね。彼はルーク・スカイウォーカーだなあ、って自分でも思います。別にグラウンドゼロがダースベーダーではないんだけど。

YF ガス・ヴァン・サントと「スターウォーズ」が平然と混ざっちゃう(笑)、そのあたりの感覚が佐々木さんの面白いところなんだよね・・・そのへんの感覚って、どういう履歴を辿ると出来るのか、ちょっと聞かせてください。まず、佐々木さんは何年の、どこ生まれでしょう?

MS 1975年の兵庫県西宮生まれです。1歳のとき愛知県の春日井市というところに引越して、小3までいました。そのあと、宝塚に3年住んで、88年に千葉の浦安に引越します。堀江中、という舞浜と浦安の中間あたりの中学に行きました。

YF じゃあ、「漁港」の船長の近所だ!今度船長に堀江中の事を聞いてみますw。
それにしても、 けっこうあちこち動いてるんだね。映画とかは見てました?

MS 子供の頃から、けっこう一人で映画を見に行ってた記憶がありますねー。映画館というより家から歩いて行ける公民館みたいなところでの映画上映です。地方では劇場公開作品もそういうところでやってたみたいで。でも基本,東映まんがまつりとかでしたけど。
ナウシカとかもそこで観た気がします。小学校高学年(宝塚時代)になると大阪までひとりで 電車に乗って映画館に行ったりしていました。TVでも映画ばっかりガンガン観てました。「スーパーマン」とかも初見はTVです。

YF なるほど、1975年生まれってことは、3歳の時、ハリウッドが長い70年代の冬の時代から脱却したのを象徴する「スーパーマン」が公開された・・・そうか、そういう世代なんだね。「スターウォーズ」は2歳、「未知との遭遇」も3歳あたりで劇場公開だから、幼稚園や小学校に上がって「コドモとしての自覚」がはっきりしてから、TV放映でそのへんの大作映画を見た世代。

MS そうですね。「スターウォーズ」は初見がいつだったか、よく覚えてないです。「ゴッドファーザー」とかも・・・劇場で見たのが最初だったのか、TVで見たのが最初なのかすらアイマイ。劇場で見た印象がはっきりあるのは、「E.T.」・・これはどこかのドラインブインシアターで見ました。あとは、小4の時の「ネバーエンディング・ストーリー」、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」、中学になってから見た「ダイ・ハード」・・・1988年ですね。

YF 中1の時の「ダイ・ハード」は強烈だったでしょう(笑)面白すぎで。

MS いやもう、本当に面白かったです。それからシュワルツネッガーの「コマンドー」を見てシュワちゃんの大ファンになりました(笑)

YF ものすごく健全な映画遍歴だね(笑)「Fragment」のクールなタッチとはまるで相容れないっていうか。俺は、この監督、フランス映画とかばっかり見て育ったヤツなのかな、とか一瞬思ったから(笑)    註:福田は別にフランス映画嫌いではありません

MS (笑)全然違います。凄く普通のエンタテインメント映画が好きでした。でも中学あたりからちょっと文芸寄りにはなりましたけど。ベルトリッチの「ラストエンペラー」は長いけど面白いなぁとか思った記憶があります。

YF ベルトリッチだったら「暗殺の森」は?

MS 19歳の時に見ました。もう随分オトナな頃。
かなり影響受けました。映像も素晴らしいんですが、シナリオの構成が完璧過ぎて。

YF 俺、「暗殺の森」、14歳の時に見ちゃったんだよねー・・・なんか、あらゆる意味でショックな映画で・・(このあとしばらく福田が「暗殺の森」について延々語る。Snip)

MS あとは「タクシードライバー」「レイジングブル」、イーストウッド映画・・一貫して「タフガイ好き」っていうのは変らなかったですね。黒澤映画も、「用心棒」「椿三十郎」とかが好きでしたし。
そういえば、いわゆるアイドルとかが好きになったことは一度もなかったですね。

YF 映画好きになっちゃうと、テレビに出てるアイドルなんかに気をとられてるヒマねーよ、って感じだもんね。いわゆる「映画オタク」の文系チューボー?

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MS いや、それが全然そうじゃなくて、体操部やったり、陸上部の部長だったりしました。いわゆる体育会系です。これは浦安っていう土地柄もあって、なんか、体育会系じゃないとナメられる、というか、そういう雰囲気がありまして。で、そうやって体育会系である事を主張しつつ、高校時代からは演劇部もやってました。

YF なるほど、アメリカみたいだな(笑)。今はどうか知らないけど、20年位前の普通のアメリカの高校だと、体育会系じゃない男はとにかくみんなタマナシ扱いだったから、仕方なくホッケー部に在籍しつつ音楽やってた、っていう友達がいる。まあ、その結果、文武両道になるっていうのか、なんていうのか・・でもなんで「演劇部」だったの?

MS 当時の千葉県って「演劇大国」って言われてまして、学生演劇が凄く盛んだったんですよ。だからなんと言うか、バンドを組むみたいに劇団を組んでました。演劇部で出たコンテストで知り合ったメンバーと、新しい劇団を立ち上げたり。

YF なるほど確かにそれって、バンドでよくあるパターンだね。しかし「バンドを組むみたいに演劇をやる」っていう表現は初めて聞いた(笑)

MS 立ち上げた劇団で野田秀樹のコピーとかやってましたしたしね。

YF 俺らの頃のバンドもんが文化祭でパープルのコピーとかしてたのにモロにカブる(笑)。映画は撮らなかったんですか?

MS 高校三年の文化祭に向けて「秋はほおばれ」っていう、遅刻しそうになった男子二人がひたすら爆走する10分の映画を撮りました。

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YF  へえ、10分にまとめたんだ!それはエラいなあ。普通、長くなりがちだけど。

MS このころから、徹底的にムダなもの、イコール、カッコ悪いものをそぎ落としたい、って思ってました。シナリオも、スタローンがロッキーのシナリオ3日で書いたんなら俺にも書ける!と思って書いて、俺はこの映画、いつか劇場でかけてやる!と思いながら上映して(笑)、実際に一昨年下北の映画館でイベントの一環で上映しました。

YF おお、初志貫徹!ということは、高校時代に完全に佐々木誠の「映画志向」が出来上がったわけだね。それで高校卒業後は映画の道へ?

MS はい。日経新聞の奨学金制度を利用して、西麻布の新聞配達所で住み込みの配達員をしながら、赤坂にあった「東京映像芸術学院」という専門学校に通いました。今はもう、この学校無いんですけど。

YF 在学中は具体的な作品を作りました?

MS 授業の一環で撮った映画でよく覚えているのは「アート・ミーツ・カルチャー」というヤバいタイトルの作品(笑)。僕の友達のすごくパンクな女の子に茶道を習わせるドキュメンタリーでした。

YF 面白そうだなー。卒業後は?

MS専門学校在学中に先輩の白尾一博さんという実験映画の監督さんと知り合って、仕事を手伝うようになりました。白尾さんはコーネリアスなどのPV撮影監督、最近では2005年に「ヨコハマメリー」のプロデューサーと編集をやった方です。

YF 「ヨコハマメリー」!見てないんだよねー。ずっと気になってる作品なんだけど。

MS その白尾さんが99年(制作は97年)にカメラで参加したあがた森魚さん監督の「港のロキシー」には、僕は助監督と役者として参加してます。

YF ずっと白尾さんと一緒に仕事を?

MS まあ、事あるごとに、という感じですね。ベタでついていた、という事では全くないです。この頃は仕事じゃないですけど、西麻布の「イエロー」が住み込みしていた新聞屋から歩いてすぐだったんででものすごくよく行って遊んでて、VJの真似事みたいなことも一度くらいしました。

YF「イエロー」!久々に聞いたなーその名前。福田の友達のDJもイエローで回してました。いわゆるクラブカルチャーが日本に定着しつつある時期だね。

MS ですね。この当時って、ある意味、なんでもありな感じで楽しかったです。そのあと、SONYのSDでPVの制作をやるようになりまして、いろいろ参加しました。でもあくまでもいわゆる職業人として参加していて、自分の中には「激しく表現したいモノ」がないなあ、とずっと感じてました。

YF その感じ、よく分かる。俺もずっと音楽を仕事にしてやってきてるけど、純粋に「音楽を通じて激しく表現したいもの」って自分の中にないんだよね。これって音楽やってる人間としては明らかに間違ってると思うんだけど、そうなんだから仕方がない。よく、福田さんは自分のライブやらないんですか、って聞かれるんで、「トークライブ」ならやってますって言うとヘンな顔される(笑)。

MS (笑)だからいわゆる自主映画を撮ろう、というような気持ちは全くなかったんです。映像関係の仕事はあくまでもメシを食うためのスキル、という考えで。

YF なるほど・・・・でもそれが、「あの事件」で一気に変った、と。

つづく

2010/6/13  19:04

投稿者:まりまり@携帯
「ヨコハマメリー」
生の「メリーさん」を子供の頃 何度も見かけました。 真っ白な顔に白いドレスのメリーさんは、周りの奇異な視線もどこ吹く風で、凛としたものを感じるほど… 大人は、「見るんじゃない!」と声を潜めて子供達に言ったものです。

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