2012/5/21

宍戸留美さんデビュー22周年によせて  音楽
仙台から帰京中。明後日は宍戸留美さんのデビュー22周年ライブがあるんだが、残念ながら自分のトークライブ「地球の海から魚が消える日」と重なっていて行けない。なので、せめて勝手に22周年を祝って、新幹線の中で、デビュー当時の宍戸さんの作品群にまつわる昔話をしてみる(^-^)

まず最初に、いままでも散々あちこちで書いてきた事を書いておくけれど、宍戸留美の(敢えて敬称は略しますw)デビューアルバム「ドレミファソラシドシシドルミ」は、福田が自分の仕事の中で最も好きな作品で、かつ、もう二度と作れない傑作、と躊躇いなく自賛できる作品です(^ー^)

このアルバムを作るに至った経緯を書いてみますね。そもそも、1980年代後期から90年代初頭は、TVの「イカすバンド天国」(=イカ天)というオーディション番組が巻き起こしたバンドブームが音楽業界を席巻していて、所謂「大物アイドル」以外の女性アイドルには冬の時代でした。

なにしろ89年にSONYがリリースした、架空のアイドル「羽賀ゆい」の「星空のパスポート」(福田と生方則孝氏とのユニット「生福」のアルバム「内容の無い音楽会」収録曲「酸素でルルル」に奥田民生氏が新歌詞を提供した楽曲)が「生身のアイドル」の楽曲よりセールスがよかったというくらいの有様です。

そんな当時大成功していた「新人アイドル」と言えば美脚あらわな衣装で他を圧倒した森高千里さん。彼女に楽曲を提供していたのは福田のデビューバンド「YOU」のギタリスト斉藤英夫くんで、うわー英夫すげー売れやがった!と舌打ちしてましたww因みに、森高さんのデビューシングルのピアノは福田w

とまあ、そんな状況下、ロッテのCMアイドルとして華々しくデビューしたのが宍戸さんでした。古くからのファンの方には説明するまでもないですが彼女の等身大POPは当時のレコード店の入り口には必ず置かれてました。でもね、今だから書いちゃいますが、そのコンセプトは余りにも「森高」(^-^;

その時点では福田は宍戸さんのプロジェクトとは全く無縁で、彼女のPOPを街で見かけて、「うわー、こりゃーまたすっごく脚のキレイな可愛いアイドルが出てきたなー、でもこれはいくらなんでも森高過ぎるだろ!」と、正直、かなり呆れてました。すいません、でもホントです(^-^;

で、ある時、SONY のディレクターの藤岡氏から電話がありまして。藤岡氏は当時、シブがき隊等も手掛けている売れっ子Dで、1983年に福田が一番最初に所謂「スタジオプレイヤー」として参加した故・可愛かずみさんのシングルレコーディングからの付き合いでした。

今はもうとっくにない、六本木WAVE の喫茶店「雨の木」に呼び出されて行ってみると「実は福ちゃんに任せてみたいアイドルがいるんだよ」と。正直、え?と思いました。藤岡氏は、福田がビートルズよりピストルズが好きで、怪獣やサブカル好きの皮肉屋であることはよーく知っているはずだからです。

そりゃーよっぽど変わったアイドルなんだろうな。でも、戸川純みたいな娘だったら燃えるな!と思ってる所に差し出されたのは、なんと、あの「森高っぽい美脚アイドル」の資料。ええええええ?このこ、超大物新人で超正統派だろ?なんでまた俺?頭、ぐらぐらしましたw

「ほんとに自由にやってくれていいんだよ。すべてお任せする。好きにやってくれていい。」とは言ってくれたものの、明らかに人選ミスじゃん?と思いました。大体、福田は当時「作曲家というよりは編曲家」と言うスタンスで仕事をしてきていたので、いきなり新人アイドルを「全部任せる」なんて言われてもなあ、と。

それに、もともと福田は、「アイドル」という存在にまるで興味がなかったんです。
前年にスマッシュヒットした「星空のパスポート」の元曲「酸素でルルル」だって、生方くんと二人でアイドルソングを揶揄するつもりで作った曲だった。それがアイドルソングとしてヒットするという出来事は、実に「内容の無い音楽会」的ではあったんですがw

それでもまあ、俺みたいな異端のヒネクレものに大事なアイドルのプロデュースの話をふってくれてるってことは、こりゃあ藤岡さん相当状況を変えたいんだろうなあ、マジで「突破口」探してるんだろうなあ、とも思い、結局、お話は有り難く受けることにしました。

それでは、という事で「アルバムを作りたいんだけど、その前に、一応テストケースとして一曲作ってみて」と言われ、仕事場に戻ってとりあえず宍戸留美デビューシングル「コズミックランデブー」を聞いてみたんですが・・・・これがさすがA級プロジェクトw、曲もアレンジも音もいい。歌声もじっつにキュート。

うひゃーっ、いいじゃん!これでいいじゃん!俺、何すりゃいいのよ!と思って頭を抱えたんですが、要するに、現状これでは「あんまりセールスが伸びてない」のが事実。
じゃあ、まあ、俺はこの「コスミックランデブー」の事はきれいさっぱり忘れて、自分でおもしれー、と思う曲を作りゃいいんだな、とほぼ居直り。

さて、それじゃあ、作詞家をどうしよう、と。実は、真っ先に頭に浮かんだのは、その数年前、同じ藤岡氏との仕事「シブがき隊結成5周年記念12インチシングル」で、布川敏和くん用の楽曲「フックンの頭脳改革」を一緒にプロデュースしたサンプラザ中野くんでした。彼なら気心も知れているし、いいかな、と。でも、ここはなんか違う気がした。
中野くんの歌詞は、やっぱり「男子の歌」なんです。
徹底して「男子の歌」だからこそ切ないし、泣ける。

そこで思いあたったのが石嶋由美子でした。彼女は元々、当時のインディーズシーンで有名なレディスバンド「パパイヤパラノイヤ」のベース&ボーカルで、福田は88年に、彼女のソロアルバム「バブハジャ」のアレンジをしていました。

数か月前にもツィートしたのですが、この「バブハジャ」の中の「WAR WAR WAR」という楽曲は本当に素晴らしく、彼女の、体中の呪詛を一気に吐き出しながらロック的快楽の絶頂に昇りつめていくボーカルと歌詞はまさに圧倒的でした。すっげえ、こいつマジキチかも、と思ったw。でも、他の曲は猛烈に可愛らしかったりするんですよ。

福田は自分が振れ幅のない人間なので、彼女のように激情と静謐の間を猛烈に行き来するタイプのキャラクターが大好きだったこともあり、これは是非、もう一度一緒に仕事しようと思い、事の次第を説明したところ、彼女は快諾してくれました。「やりましょう、アイドル!!」みたいな感じでしたw

何度かミーティングして、「とにかくリアリティはどうでもいいから『リアルな女の子のリアル』を作ろう」というコンセプトが決まり、まずは何か歌詞を書いてきて、とお願いすると、まず最初に出てきたのが「恋のロケットパンチ」
スラップスティックでキュートォ!!なwラブソングで、福田はそのユーモアセンスも含め一発で気に入りました。すぐに曲をつけてアレンジを完成させ、藤岡氏に提出。「恋のロケットパンチ」は「ナクヨアイドル平成2年」のカップリング楽曲として世に出ました。

その後、アルバム制作がスタート。やり方は極めてシンプルで、石嶋由美子が思うままに歌詞を書き、福田がそれに曲をつける。つける段階で、歌詞を発展させる。
面白いように曲が出来ました。多分、一週間かからずに収録曲全部が出来たと思います。
どうしようか、と悩んだ事は一度もありませんでした。

そしてレコーディング。収録曲の殆どは打ち込みで、よく「ドレミファソラシドシシドルミ」は「テクノ的」と言われるんですが、実は福田はそんな事は一度も意識したことがありませんw。出来上がりのサウンドの印象がプラスチックなのは、当時福田が大好きだったシンセサイザー、エンソニック社の「VFX」を多用しているからだと思います。

何曲かある生オケのレコーディングで印象的だったのは、「PANIC IN MY ROOM」のドラムの三原重夫さん。スターリンやローザ・ルクセンブルグのドラマーだった彼とは、石嶋由美子の「バブハジャ」の時初めて一緒に仕事をさせてもらったんですが、やっぱりこの曲叩けるのは彼しかいないと思い、参加してもらいました。

何テイクか録っていくうちに、どんどんオケが整ってきました。すると三原さんが一言。「これ以上やると、もうパンクじゃなくなるよ。パンクのドラムってね、マジメに一生懸命叩いちゃダメなんだよ」。これはまさに目から鱗でしたw。というわけで、まさに「適当」なところで、「スタジオワーク的追及」をやめちゃったんです。だからだと思うんですが、あのオケ、なんか飽きないんだよなー・・・w

オケのレコーディングは、クソ暑い1990年8月の2週間のうち、全部で6日間くらいだったと思います。石嶋由美子が仮歌を歌ったバージョンを藤岡氏に提出、歌入れは全て、藤岡氏に一任しました。なので、実はこのレコーディング中、福田も石嶋も、宍戸さんにはほぼ全く会っていません(それどころか、あれから22年経った今も、福田は宍戸さんとちゃんとお会いしたことは一度もないのですがw)

とにかく、全プロセスがあっと言う間でした。楽曲の作曲編曲作業も含めて、トータルで二週間程度でオケは完パケていましたから、これは相当の速度です。でも、時間が足りないという印象もなかった。要するに、勢いがあった、という事でしょう。

「ドレミファソラシドシシドルミ」の中の主人公「ルミちゃん」は、福田にとっては70年代から80年代にかけての福田の中の「少女幻想」の集大成、かつ総決算です。男子が少女マンガを普通に読み始めた第一世代に属する福田の中に、ずっと住み続けた、それは「少女的なるもののイデア」と言える存在かもしれない。

具体的には、大島弓子さんの描く「おでこの広い少女原型」がずっと福田の中にあり、その少女は、福田よりも7歳若くそして実際にかつて「少女」であった石嶋由美子の描きだす「女の子」と融合して「ルミちゃん」になった。その「ルミちゃん」を、巫女のように現世に下ろし、自らの肉体を以って具現化したのが宍戸留美というアイドルだった、と言うのが、福田の「見解」です(^-^)

「ドレミファソラシドシシドルミ」のラスト曲「ハートにリンス」の中の「ルミちゃん」は、快速電車に乗って別の女の子と行ってしまった男の子の事を、多分今でもずっと想い続けていて、彼女の「もっとハートにリンスしてやわらかな女の子に!」という「決意」は、それがあまりにも「完璧に少女的」であるがゆえに、いまだに時折、福田を涙させます。55歳にもなってお恥ずかしい話ですがw

果たしてこのアルバムが藤岡氏の求めていたなんらかの「突破口」になったのか、というと多分、全然ならなかった、と思います。セールス的には決して芳しいものではなかったですから。

「よいこの歌謡曲」という、今で言えば「オタク同人誌」の90年度の年間ベストアルバムに選出してもらえた(しかも、「あの」森高千里のアルバムを押さえて!ww)のはホントに誇りですけどね(^-^)もっと「普通」の、「『ちゃんとした』作曲家やアレンジャー」を使ったアルバムでもよかったんだろう、と。

でも、少なくとも、このアルバムは、福田と石嶋由美子と、それから間違いなくそんなに多くは無いだろうけれど、何人か(何百人くらいかもしれないw)にとっては、何物にも替え難い「宝物」です。

一枚のCDの中に、「少女のリアル」がこんな風に優しく楽しく封じ込められたアルバムは、他にはない、と思っています。その少女は、永遠にコンビニをハシゴしてビーチサイドで危機に陥り似合わないロック小僧の彼氏に眉をしかめ無謀なダイエットを目指し続ける。宇宙が終わるまでね。

だから福田は平然と言えるのです。「ドレミファソラシドシシドルミ」、最高(^-^)/

宍戸留美さん、22周年、ほんとうにおめでとう。














2012/5/25  15:26

投稿者:fukuda
あはは、確かに、メイクって一番時代が出ますよね(^-^)曲はね、今の曲を聞いてもなんじゃこりゃ古くせー、という(俺の年代ですらそう思う)のもあるし、昔の曲を聞いても全然古くないのもある。そういうものですw

2012/5/25  13:58

投稿者:mame
スゴい〜
20年以上前の曲じゃないデス
すっごく今ドキの曲に聞こえます。
声が初音ミクみたい
YOUTUBEで初*宍戸留美ちゃん(*^_^*)
でも・・メイクはやっぱり時代を感じました。

2012/5/22  13:22

投稿者:lui♪
私が一番他の人にプレゼントしたアルバムです。
今でもよく脳内で流れている曲ばかり♪
すでに相当ダメな「ベテランの少女」ですが
私の中に「オンナノコ」が居続ける限り
というより「オンナノコ」であった記憶が有る限り
愛聴していく音楽が詰まっている名盤です。

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