2007/8/17

トンネルの中  雑感

 猛暑が一転して冷たい風に変わった...夏を満喫しただろうから、そろそろ秋への準備だよと言われているような雨空になりました。厳しい作業の後、ゆっくりと音色とつながる時間をとる。このバランスを失わないように心がけてはいますが、作業で酷使した指の痛み強く感じると、いつかどちらかを選択しなければならないときが来るのだろうなと思います。つまり、製作に専念するか、演奏だけに切り替えるか...いまはまだなんとかバランスを保っていますが、力仕事は指に良いわけがありません。

 かつてギターを弾きまくっていたころ、将来のために極力力仕事は避けたほうがいいですよと指導された記憶があります。ラテンギターで多用するラスゲアードでさえ、多用しすぎると繊細な指の動きが出来なくなるからと警告されました。結果的に、指導に忠実になれなかった私は脱落。後輩たち数名はギターのプロで今も活躍しています。

 ギター弾いたり、フルートやリコーダーを吹いたり、いろんなバンドをやっていたことも自分の内面との繋がりがなければ空虚さが付きまといます。ほぼ必然的に内面的な世界への関心へと方向転換し、しばらく旅をしてきました。

 現在の演奏と製作とレッスンの動きは、いわばこれまでの流れを集約したものとも言えそうです。体を動かし、具体的なものと向きあう作業は、浮ついた論理や空想を退ける直接的で具体的な時間です。読書や情報や論理や価値観を言葉の中で構築することは、大切ではあるけれど肝心なことを失う危険性も高いように思いますから、カラダを持って生きている現実を十分感じる肉体作業は大きな助けです。思うようにならない素材と向き合うことは、おのずと自分自身を変化させていきます。

 音の響きというのは、具体的であると同時に、見えない世界、内面的に直結している不思議で独特な世界のように思います。演奏という動きにはたくさんの厳しい面があるのですが、それでも存在しているお互いが心の奥深くに持っている普遍的な要素を分かち合い、触発し合う空間であることに気づき始めると、その意義の大きさもまた再確認させられます。

 レッスンという要素は素朴な空間ですが、たくさんの知恵を学び何がお互いを結び付けているかを再確認する貴重な場です。

 トンネルの中・恵み野グランドキャニオンで数時間練習している時、通りがかった青年が礼儀正しく「少しの間聴いていてもいいでしょうか?」と声をかけてくれたことがきっかけで青年期から現在に至る一連の流れのようなことを書いてみました。
 
 変なおじさんがトンネルで笛を吹いてるのを聴いた彼が、いつかどこかで誰かの笛に心惹かれて、自分の歌を歌い始めるかもしれないなと空想しながら夜道を引き返しました。
0



コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ