2005/12/22

電波生活の豊かさと歪  ラブフルート

 数日前、北海道FM AIR−G’の生放送に行ってきました。今度のモエレ沼公園のホワイトクリスマスコンサートの案内のためでした。ほんの一瞬ラブフルートの音色をお届けしたのですが、果たしてどんな処に飛んでいったのでしょうか。

 考えてみますと、こうした放送電波と関わったのはFMラジオ・カロスが最初でした。パーソナリティーのお二人がわざわざライブを聴きに来てくださって、お招きいただいたのがきっかけでした。その後で、HBCラジオ、FMサッポロ村工房、FMメイプル、FMノースウェーブ、NHKテレビ、今回のFM AIR−G’となりました。何事かを続けていくと、それなりの経験が残るものなのですね。

 情報伝達手段がごく限られていた時代には、それこそラジオだテレビだとなると、それなりに印象が強かったと思います。しかし、あちこちから情報が発信されて、選択するのが煩わしいほどになっていますから、メディアに関わることはさほど珍しいことではありません。

 とはいえ、ひとつの場所で起こっていることが、一気に広がってゆく仕組みは、強烈なものだと思います。マイクなりカメラなりを媒体として、それが電波に乗って、受信装置を持っている人に届くのです。

 今ではだれも、電波に乗って音声や画像が行き交う世界を敢えて不思議だとは言わないでしょうが..こうした原理に慣らされて行きますと、直接は知らない世界をあたかも知っているような気になります。

 テレビの映像は実際の場所と随分違って写ります。それは、ファインダーという枠の中で映像が切り取られているために、別世界を作り出すのです。映像や写真にはいつも、そういう空間を切り出す作業がありますから。こうした映像のトリックを知っておくことで、情報の捕らえ方は随分違ってくるように思います。
さらには、映像の目的、価値観によって、同じ空間が違った世界に見えてくることにもなります。

 もう一つは、時間に関するものです。メディアを通して情報を受け取ると、果たしていつどこで起こった事なのかが判別しにくくなります。既に、過去の時間に起こったことなのに、あたかも今起こっているような感覚になってしまうのです。録音や録画という技術が電波と手を結んで、次々と私たちの生活に飛び込んでくるからです。

 こうした生活に慣れてしまうと、たったひとつの肉体を与えられ、限られた空間と時間の中で生きている自分自身に知らず知らず歪が出来てくるように思います。本当に感じて、知って、反応する生活が、どれほど豊かなものかを見失いがちになるような気がします。

 お互いの人生の出来事を、あたかもドラマを観るように、妙に客観的だったり、簡単にストーリーを作り上げて纏めてしまう癖が出てしまうようにも思います。強烈な出来事が、単なる情報になって過ぎ去ることにもなりかねません。

 現実の人生は、長い沈黙や苦悩や戸惑いがあったり、思うように進まず悶々とすることもしばしばです。お互いが直面している現実に、心や思いを伴わせるためには、忍耐も謙虚さも勇気も必要になります。

 電波生活の恩恵に十分感謝するのは勿論ですが、それと同時に、電波生活で心に密かな障害が発生していないか、お互いに顔と顔を合わせて、生音、生人間同士の会話を楽しみたいですね。



 
 
0



コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ