2009/12/9

埋められたもの  雑感

  古いものが処理されなければ、新しいものは生まれない。新しいものを得たように思ったとしても、必ずや古いものが人生の足元に残っている..。古いものとは何だろう..。新しいとはどういうことなのだろう..。

 単純だけれど、とても奥深いこと。幾度となく語られながら、その実質に辿りつけないことかもしれません。言葉や認識の中では納得できますし、理解できますが、これを実践するとなると、難しい。
 
 相当な労力と精神力と行動力がなければ、新しいものは訪れません。新しいスペースの為に、長年使ってきた車庫(実質物置)を廃棄することになり、その時々に必要と感じ、或いは後で使おうと思っていたものが次々としまいこまれ、結果的に処理しきれないまま目の前に現れました。そして今、あれこれの出来事が重なって、ついにそれらを処理する機会が訪れたのは不思議な感じです。

 精神的な側面、心理的な視点などから言葉を尽くして人生の要素をあれこれ語ることはできますが、物質がもっている要素には独特の重みがあるように思います。意識の中で、それなりに処理できていたはずのことが、一つのもの、過去の事実を歴然と示すようなものが現われた時、何かが揺さぶられるような感覚が生まれてきます。

 自分に都合のよい人生の捉え方をしてみても、根元から処理していないことは確実に現実と関わりを持ち続けている。過ぎ去り、忘れ去られた筈の諸々が掘り返され、自分自身の人生の事実に直面する。そんな感覚が、車庫兼物置の解体、さらに新しいスペースの為に始まった基礎工事を目の前にして一気に引き出されたような気がします。

 埋められていたものが掘り返される。それは決してなくなってはいない..。自分が埋めてしまっていたもの。明確な処理をしてこなかったもの。それが一気に引き出される...。淡々とやってくる時間の流れの中で、中途半端であったり、曖昧にしたままであったりしたこと。それは、そのまま事実としてそこに残っているのです。

 自分自身という感覚や認識をどこから..もしくは、どこで受け止めているのだろう。人生の途上で愛の笛を手にすること。それが何なのか、足元から見つめたい...。いま生かされている大地との繋がりの中で受け止めたい...。どうやら、やがては、自分自身が帰ってゆく大地の意味を受け取る機会が訪れているようです。

 想像や意識の世界が、現実とはっきり繋がる。小さくはあるけれど、建物が生まれてくるプロセスには大切なメッセージがあるように思います。ましてや、住宅建設会社の建物ではなく、目の前で見て、切り倒された木々が一つの目的にために姿かたちを変え、人々が集う空間を生み出そうとしているのです。

 こういうことが自分自身の人生に起こっています。過去と現在と未来を繋ぐ大切なメッセージを読み解きながら年末年始を迎えることになりそうです。
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2009/12/15  9:57

投稿者:SHO

魂の笛吹きさん
コメントありがとう。
ブログを書き終えてからの時間と変化が大切だな..と
思っています。
何か浮かんでくることがあったら、いつか伝えてくださいね!

2009/12/13  20:51

投稿者:魂の笛吹き

掘り返されても、それはなくなっている訳ではない。
深い言葉ぢゃのう。

いろいろと自分に響く日記なのでござるが、しばし味わってみる必要がありそうぢゃ。

自分のうちに寝かしてある間に、『発酵して別のモノ』になることを心待ちにしつつ…。

2009/12/10  0:01

投稿者:SHO

ともこさん
コメントありがとう。
お元気ですか?
自分自身もまた、物質でもあるわけですから、これまた不思議ですよね〜。時折、意識と肉体は分離しているのかも知れないという感覚もありますよね..。

2009/12/9  16:16

投稿者:ともこ

車庫兼物置とは、もしかして工房でしょうか?
これまで3回引越しをしました。そのたびにいろいろ処分してきたつもりでしたが年末なればまたいろいろ出てきます。「物質が持っている要素」、なんだか自分の心に不思議と残る言葉です。

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