2009/12/13

土台  雑感

 前回のブログには、小さな建物のための掘削工事を見ながら、埋められていたものを巡る思いを書いてみました。表面的には見えていないけれど、紛れもなく存在しているものに気付くとき、色んな事実が自分自身の土台にもなってきたのだと感じます。

 それが、良さそうに思えることであれ、厭だなとか不味いなと思うことも、自分自身のことであり、結局はそういうものの上に立って今があるわけです。

 今は、基礎工事に入りました。ここで作られる土台の上に、建物が建つわけで、その建物に色んなものが入ったり、色んな人との出会いがある。一番目立たなくて、もっとも重要なもの、それを手掛けている基礎工事の職人さんたちにちょっとした休憩時間を見つけてラブフルートの音色を楽しんでいただきました。すると「俺のフルートも作っておいてくれ..」と言い残して作業に戻られました。少し疲れ気味の奥様の為に...とのことでした。造園関連のお仕事もされているとかで、今度庭木を伐採したら、良さそうな木を持ってくるとも言われました。

 基礎工事を目の前にしているうちに、自分の人生の基礎工事はいつ、どこでなされたのだろうという自問が生まれてきました。時間的な流れからすれば、生まれ落ちたところから(前世論にはとりあえず触れずに続けます...)ということになるのでしょう。正確には、胎内での経験も加えてということになるでしょう。

 とにかく生まれ落ちてからというもの、初めてのことばっかりの世界ですから、見聞きしていることすべてが、有無を言わせず次々と自分の中に吸収されていくわけです。呼吸の仕方から、眼球の動かし方、言葉、食べ物、心の動き、感性、感情の起伏...などなど。すべてが、模倣と自己選択によって振り分けられては行くものの、その土台は明確です。

 ここまで親に似ているのか...というのは姿かたちよりも、心の状態かもしれません。自分は自分だと思っていても、やがて人生の土台になっているものが浮かび上がってくるものです。それに気付き、肯定したり否定してみても、もうそれはすでに出来上がっていて、その上に色んなことが次々とやってきている...。どんなに個性的で独自の道を辿っているように見えていても、それは土台の上で起こっている...。それは変えることのできないことであり、だからこそ深い意味を持っているように思います。地球に生きている人間は、誰しもこうした関係の中で生きている...のですね。

 何をどう言葉に置き換えてみても、理性的な視点や価値観が生まれてくる以前に出来上がっているものがある...。その事実を、どこまで掘り返して現実との関わりを受け止めるのか..。その心のプロセスと事実そのものの変化が、目に見えない土台のような気がします。

 その建物が建ちあがる全ての場所を根こそぎ掘り返す作業。その作業から受け取ることは大きい..。新しい生き方というのは、この作業を自分の人生の中で明確に実践するときに初めて実現するのでしょう。中途半端で一時的な掘り返し作業で一喜一憂するパターンから抜け出すためには、予想外の忍耐と心の純粋さが求められているように思います。

 出来上がろうとしている小さな建物は、そのことに触れるきっかけのひとつになるのかもしれません...。
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