2010/11/14

木枯らし  雑感

 札幌郊外の病院ボランティアの皆さんのレッスンに向かう途中、美しい虹が天空に力強く掛かっていました。それは二重の虹でした。くるくると天候が変化する秋の一日。その場を離れて動き出し、走り出さなければ見ることはできなかっただろう虹。

 この世界は色彩に満ちている、その源は光にある。光が存在している事自体が不思議な事ですし、光の中で、私たちは世界を見つめ、お互いの存在を見ています。虹はあたかもその事実を、改めて告げているのかも知れません。

 光は、光を受けて反射する物の存在によって、自らの存在を示す。光がなければ何も見えず、事物が存在しなければ、光が光である意味はどこにあるのだろう....。

 そんなことを何となく考えながらのミニドライブでした。その日の朝には、庭の美しい紅葉を目にして感動していたのに、翌朝は見事に散っていました。夜の嵐が、全ての葉を地面に落してしまったのでした。その時、ふと「木枯らし」という言葉が浮かんできました。

  「木枯らし」とはよくぞ名付けたものだとしきりに感心しながら枯れ木のように枝と幹だけになった楓を眺めていると、真下には色とりどりの落葉が惜しげもなく敷き詰められていました。木枯らしが敷き詰めてくれた五色の絨毯。

 秋は、次々と様を変え、冬に向かっています。このスピードは、おそらく自分の人生にも通じるのだと思います。紅葉の見事さが一夜にして失われ、見る影もなく立ちつくす。そんな日が、ある日突然訪れるのでしょう。

 吹き抜ける風が命の種を運び、やがてその風が命の終わり告げる使者となる。どんな巨木もやがて朽ち果て倒れる。木ほど長生きする生命体はないのかも知れないが、やはり終わりは来る。その木は、与えられた命の元を大地に返し、新しいいのちを生み出す養分となる。

 そうやって生きるのだ...。それは何と幸せなことだろう....。木々たちは、そんな歌を歌いながら過ごしているのだろう。そして、その木々の声、彼らが届けてくれるメッセージに心を寄せる人々との深い繋がりを喜んで、さらに歌声を響かせるのでしょう。

 木枯らしが吹く抜ける時、枝たちが囁くように歌っています。
さあ、この風を胸いっぱい吸い込んでごらん、受け取った息を吐きだしてごらん。
声を出し、全身に響かせてみるといい。
あなたのために作られた、木の笛に風を注いでごらん。
私たちが、あなたをどんなに愛しているか、その思いが美しい響きとなってあなたの心に届くだろう....。

ちょっぴり秋の詩を歌ってみました.....。

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                漁川の河辺
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