2011/2/4

交渉当日は大雪・報告断念  ラブフルート

 翌日のカード会社との経緯を書くつもりでしたが、車を出すために1時間半の除雪。吹雪になり、前方が真っ白けなのに、車を走らせる、無謀とも言える運転時間。通常の倍以上かかって辿り着いた頃には、既にぐったり。

 というわけで、十分に吟味した書き込みは断念。それは帰宅してから、車を入れるまでに3時間の除雪。あきれるほど降り積もった雪を、一人で黙々と取り除き、なんとか車を入れたものの、まだまだ雪は残っていました。空腹と疲労のまま、倒れこむように寝床に入ったのは朝方。

 精神疲労と肉体疲労に経済困窮と三拍子そろった長い一日でした。そして、翌日の朝も、除雪で数時間。いずれ屋根からの雪が落ちて、さらに重労働が待っています。

 休憩で部屋に入ると、障害を装って金をだましとった元道職員の事がラジオから流れて来ました。自分も、元道職員でしたが、障害者手帳は本物です。その手帳も今回一緒に盗まれました。痛みや不自由さを堪えながら生活している自分には、なんとも悲しい事件が聞こえて来ました。今は盗難を理由に手帳を再申請していますが、提示しても疑われることがあるかもしれないと思うと悲しい気分です。

 子供の頃は、手足を失ったり、目が不自由な人が路上に立って、お金を求めている姿がありました。
道を通る人は、それとなく目を合わせないように通り過ぎようとしていました。見てはいけないものを見る。そんな空気を感じた記憶があります。戦争という不条理の中で、肉体の一部を失った彼らは、どこへ行けばよいのでしょう。

 そんな記憶を手繰り寄せながら、再び除雪に戻り、疲れきったところにSさんが盗難事件を知って訪ねてくださいました。黄色いバラとオレンジのガーベラ、優しい色のスイートピーたち。とても素敵なアレンジフラワーを持ってきてくださいました。その花たちと出会って、なんだかようやく呼吸ができたような気がしました。

 疲れたこころとからだ。そこにやってきた励ましと笑顔と美しい花たち。いま、花はPCのそばにあります。今の自分が欲しかった色と輝きだと思いました。Sさんの姿の背後には、ほんとうに沢山の方々のこころある助けが重なって見えて来ます。助けられ、守られ、励まされ、支えられて生きる。それは心の思いが満ち、時が満ちて出会ったラブフルートとの旅路の途上に待っていました。

 ラブフルート達が失われた時に浮かびあがってきた事があります。どれほど心をこめて笛を奏でても、どれほど近くにいても、その思いが届かない人がいる....。逆に、まだお会いしたこともなく、木々の響きに触れた事がないはずなのに、ちゃんと愛を知り、与え、受け取り、響かせている方がおられrるということです。

 愛の笛といつも一緒にいること。それがファーストレッスンであり、ラストレッスンであること。それは、どんな行為や言葉でもなく、愛そのものの中に生きることを意味しているのだと思います。愛は漠然とした感覚や感情的なものではなく、とても具体的で明確なものだと思います。

 愛の笛の物語が教えている事の一つ。それは、愛は自分自身の中にあるものではなく、真摯にそれを求めるものに与えられるギフトだと云うことです。

 愛は、自己への完全な絶望から生まれた祈りに始まり、時を経て与えられる。少なくとも、この物語はそう伝えています。自己に満足し、自分の根底にある問題に気付かなければ、相手の中の問題ばかりが気になるでしょう。愛する価値のある何かを探すのではなく、自分自身の中に欠落している空白に気づくこと。それが最初の扉になるような気がします。
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