2011/4/8

靴をそろえ、枕元に衣類を揃える  雑感

 幼い時にしつけられていた事の中に靴をしっかり揃えておきなさいというのがありました。そのしつけを守り続けて来て、時にはきちんとしてるねと褒められたこともありました。

 ところが、ある御宅を訪ねた時、それはそれは見事に靴が蹴散らされ、ばらばらになっているのを目にしました。このショックで、一気に生真面目さから、適当に、柔軟にというスタイルへの転身となりました。

 大半はそろえるパターンで生活しているけれど、時には、それなりもいいじゃないかという風に変化しました。今は、ちょっと自由で、少し気にする範疇で過ごしています。

 もうひとつの躾は、寝るときは枕元に着るものを揃えておきなさいというものでした。靴下、下着、上着などたたんで置いてから寝床についていました。この習慣は、10代後半で長い病院生活に入ってから、自然消滅しました。

 今回の震災を見る時、かつてのしつけの大切さを痛感しました。常に用意された衣類といざという時、たとえ暗闇でもさっと靴を履いて逃げられるようにという姿勢が、多分何らかの形で身を守る事に繋がるのだと思います。

 これは大切な事であり、しっかり実践していなくてはならない。そうと知りながら、実態はお粗末な状態です。それこそ、昔はちゃんとやっていましたなどという言葉は何の意味もない訳です。めったに起こらない危険な状況を、勝手に大丈夫だろうと決めつけて生きていく。

 そんな意識や実態が、結果的に最悪の事態をさらに悪化させるように思います。身勝手に安全を前提に過ごす、或いは勝手に不安を引き起こし、過剰な対応でがんじがらめになる。

 まさかここまでは来ないだろうと、根拠もなく津波の動きを決めつけた結果、命を落とした人が少なくなかったと聞いています。これからも続くであろう余震を含めて、まさか自分に死に至るような地震が襲って来る事はないだろうと踏んでいる人の方が圧倒的に多いだろうという現実。

 いえ、余震どころか、立て続けに大震災が襲ってこないなどと思いこむ愚かしささえあるのだと思います。凄惨な状況のただなかに居る方々を見ながら、まさか自分自身がその只中に立つ事になるとは思わない。しかし、そんな予測もつかない事が自分自身の人生にも起こる。それが、今回の出来ごとの中心的なメッセージの一つのように思います。

 勿論、それは自然災害という形だけではなく、様々な形で起こるのだと思います。突然のように思われながら、必然である何かが待ち受けているのだと思います。予期しない事、信じられない事が起こるというけれど、では一体何を予期し、何を信じているのだろうか....。

 命は誰のものか、この世界は限りある人間たちが誇りとする、あらゆるものをたちどころに呑み尽くす力を持ちつつも、そこに生きる事をよしとする不思議な恩恵で支えられているのではないだろうか。
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