2005/10/24

輝くイチョウの葉  雑感

 紅葉の季節が巡るたびに、それを見る自分の心に微妙な変化が起こっていることに気付きます。朝早くに、思いがけない人からの電話を受け取ったことも影響していたのかもしれません。数十年ぶりで声を聴きました。お互いの人生には様々な変化があり、ほんのわずかな記憶の糸がお互いをつないでいるなと感じました。言葉にならない感慨が起こっていることを感じてはいたのですが、それを確かめる間もなく、仕事のために車を走らせました。
 
 風は冷たいけれど、車の中は太陽の輝きを受けて心地よい空間でした。しばらく走ると、イチョウの黄色い輝きが、通りを照らし出していました。揺れながら輝く木々にすっかり目を奪われました。美しさと、愛しさが心を満たしているのが良く分かりました。

 まもなく厳しい冬が訪れることを知りながら、彼らは惜しげもなく色付き、輝きながら風に揺れているものだ..。人は間もなく終わりが来ると思うと、否応無しに疎外感や孤独感、喪失感が心をよぎるというのに..。

 目の前のイチョウは悲哀や疎外感など感じさせず、むしろ誇らしげに輝いて見えました。若木の時代から、様々な経験を重ねてきたイチョウは、豊かな夏を過ごし、葉をすべて落として冬を迎えようとしています。冬を前にしたその輝きはなんなのでしょう。

 人には個人差があるとはいえ、確実に老いがやってきます。誰しもが、いずれ衰えていく肉体の現象を着実に感じるようになります。死というものを、明らかに意識し始める時がやってきます。

 人は何故、老い、死を迎えるのか。それを必要以上に考えたところで、明確な答えは見つからないように思います。いままでも、そしてこれからも人はこの事実に直面し、あれこれ言葉や教えを駆使して死を語っていくのでしょう。
確かに、それなりの考えや価値観はあるのでしょうが、知識や教えは果たして、心を十分に支えうるのでしょうか?

 輝いたイチョウの葉は、大地に落ち、雪に埋もれ、貴重な養分となって育んでくれた木を生かすための死を迎える...役目を終えて、落下することもまた、大切な役割なのだというメッセージ。

 肉体は衰えても、心は光を受けて輝く姿。暗く、重い冬を迎える世界に、まばゆい光を反射し、それを見る者に希望と勇気を与えてくれる存在。

 書物も無く、思想も宗教もない世界にいたとしても、取り囲む自然は深く豊かな知恵を惜しむことなく与え続けているのではないか..そんな思いを抱きながら帰宅しました。

 その夜遅く、町内会の区長さんが来られました。数軒隣のご婦人が急性脳出血で亡くなられたので、お手伝いにきて欲しいということでした。既に亡くなった母が親しくしていたご婦人の突然の死の知らせに接して、尚更イチョウの輝きのことを思い返すこととなりました...

 めっきり白髪が増え、頭部の輝きが増えてきたとなれば、外見だけがイチョウに似てしまうではないか..。出来るならば、天来の光に照らされて心が輝き、美しい死を通して、後に生きるものの貴重な養分になりたいものだ..そんな思いの中で一日が終わりそうです。明日は平地にも雪が降るかもしれないという予報が聞こえてきました..。そう言えば、夕方たくさんの雪虫を見ました..。
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