2013/6/21

月夜の宴というひとつの始まり  ラブフルート

「星の少年 」シャイアン・インディアンに残された物語 が目に止まり、やらなくてはならないことがいっぱいなのに、ページを開いてしまいました。(発行 ビイング・ネット・プレス / 発売 星雲社 /再話 北山耕平 /作画 菊地慶矩)

次々と現れる言葉に押し出されるように読み進み、しばし別世界を漂いました。既に読んでいた物語ではあるのだけれど、新たな発見をしている自分がいました。

それは明日の夜、見上げるであろうスーパームーンと夥しい星々への思いと繋がっているのでしょう。

風の噂だけで集まる人々。

月夜の晩にドラムを叩き続けるという、ただそれだけの一夜のために、やって来る人々がいる。これは、始まりからすでに物語なのでしょう。

北海道勇払の原野に数千人の小さな町があります。その農地の一角にある敷地に、ただそれだけのために人が来る。それは楽しみ喜んで生まれて来た小さな案内を手に、細い農道を辿ってくる密かな集いです。

あの手この手で、其れなりの経費をかけ集客するイベントとは全く違う集いです。接客というスタンスはありません。

僕は呼び掛け人ではあるけれど集いの主催者などではありません。いつも通り、静かにドラムを叩き、心の底に湧き上がる響きを感じ、時に声を出したり、ゆらゆら身体を動かして過ごすだけです。

中には祭りのイメージをお持ちの方もおられるでしょう。ワイワイするのが楽しいという方もおられるでしょう。それはそれで、いいのだと思います。ただ、この宴は一気にエネルギーを発散させて、はい終わりますという催しものではありませんから、時間の経過と共にいろんな気づきが起こるのではないかと思います。

僕は、いのち、鼓動、呼吸そのものを感じ、そこに潜んでいる何ものかに触れたいのです。結論めいた言葉や、悟りの極みのような言葉、これぞ真理といった教えたちに邪魔されず、いのちの姿、事実そのものを純粋に感じたい。それを密かに求めているであろう人たちとの出会いを楽しみたいと思っています。

アラスカのクリンギット族の中の熊のクランを持つ方々が来られて、熊の踊りをしてくださったことがありました。僕はその時の踊る姿と、聞こえてきた歌を鮮明に覚えています。その時に流れたメロディーをときおりラブフルートで吹いてきました。また、踊りのスタイルもお伝えしてきました。

ところがみなさんの踊りは静かで淡々ととはならず、あっという間に盛り上がり、大宴会さながらのエネルギッシュな踊りになります。僕は勝手に、感じた印象のまま「静かに踊ろう」と曲名を付けていたのですが、一度も静かな感じになったことがありません。

彼らクリンギット族の中の80歳を越えた女性は静かにドラムを叩き、踊りの輪を見ていました。太鼓といえば、元気に力強く叩くものだという和太鼓のイメージとは対象的な姿でした。

実はインディアンハンドドラムも、踊り同様、しばらくすると激しく叩くようになる方が多いと思います。和太鼓のイメージが強いのかもしれません。太鼓と言えば大音響という思考パターンが出来上がっているのかもしれません。

ラブフルートの吹き方も、やはり似たような傾向があるような気がします。外に向けて発散する、発信するエネルギーの方向性を感じます。ラブフルートの構造は、むしろ内側に深く浸透する響きを生み出すようになっています。

今回の月夜の宴622 は、すでに動きだし、集まられる方々によって生まれて来る、未知の時空間になりそうです。そこには、誰もが予期しない何かが待っているのでしょう。

ただ、僕自身は、明日への思いと同時に、次のスタンスに向かっています。インディアンドラムだけで過ごす時間、ラブフルートが歌い続けるだけの時間。声の響きだけの時間。いずれも特定の存在が中心にならないというポイントを押さえて、しっかり、はっきり、どっぷり全身で関わる。そういう時間、空間の必要を感じています。呆れるほど情報が交錯する環境の中で明らかに変化し始めている自分自身が原点を確認する時間といったところです。
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