2013/8/16

夏の風 から秋の風  ラブフルート

夏が一気に駆け抜ける。とりわけ北海道の夏は短い。

このブログを書いている時間、木々を揺らす風は明らかに変化し始めています。

爽やかな朝、耳にした蝉の声。少しづつ勢いがなくなっている。時は休むことなく流れています。

この時期に「風になる豆になる」の気ままな集い。セミナーとかワークショップとか言わない、なんか良さそう気分で集まる。

ひとりじっくりとは違う、誰か自分以外の人と場を共有すること。それは自分のスタンス次第だけれど、随分いろんな気づきを与えてくれると思っています。

スピリットキャッチャーを作ろうとしたところから、ウィンドキャッチャーが生まれて来た。構造や原理は同じだが、核になる部分が違う。

それは能動と受動という根本的な違いだ。突き詰めれば、能動も受動も視点の違いでしかないとは思うけれど、あえて何処かで具体的な動きを表現するなら、能動と受動ということになるだろう。

自分自身が手に持って振り回すのがスピリットキャッチャー。自分はただ手に持って、風がやってくるのを待ち、風の流れを体感するのがウィンドキャッチャー。

手で回すスピリットキャッチャーは軽量であることが重要。立ち尽くして風を感じるウィンドキャッチャーは、身体に風の流れを伝達し一体感を共有できることが大切。

風という言葉と実際に感じる風との違い。それは概念や知識とは違い、直接的で具体的なもの。人はおびただしい知識や概念や認識の中で自己認識を安定させようとしながら、何処かでその辿り方に違和感を感じているような気がする。

心と身体という二分化した相対的認識も一つの視点にすぎず、心と魂という表現もまた確固としたものではないだろう。

にもかかわらず、あたかもそうであるかのように意識に登らせ、言葉にしてはみるものの、多分前提となる言葉の意味を明らかにしようとする作業だけで多くの時間を費やし、結果的にこれと言った何かを引き出すことはできないような気がします。

ラブフルートを吹くという起点があってのウィンドキャッチャーだけど、多分ラブフルートを吹くよりも分かりやすく感じやすいのだと思います。

自分も風なのだという感覚が何処かで感じられれば十分だと思っています。その先は、それぞれにあるだろうから…。

自然との一体感を視覚や言葉ではなく、体感する。その意味では、実に素朴でありながら、深い領域に触れる可能性を持つウィンドキャッチャー。

今のところ、体感した全員が楽しんでり、喜んだり、自分も作る〜と言わせている。まさかまさか、流れ着いた流木が風を連れて来てくれるとは…。

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